今の世の中、映画が公開されて時間が経てば経つほどネタバレを目にするリスクがどんどん上がります。なので出来るだけ早めに観ておこうと早速観てきました。しかも今回は事前情報を全く入れず。なのでストーリーの断片も、設定も、ファンの間で噂されていること議論されてる疑問も何も知りませんでした。
ここまで何も情報を入れなかったスター・ウォーズは初めてです。EP4は当時かなり話題になりテレビでも宣伝してましたし子供向けの雑誌も特集を組んでいましたからそれらが目に入ってきました。以降、EP6とEP7は映画雑誌などで事前情報に自ら手を出してましたし、EP1~EP3はインターネットの時代となり色々な情報が一段と手に入りやすくなりました。
しかしそれらはまだまだ情報と言ってもコントロールされた限られた情報でしたが今や時代は変わり、少しその気になればかなり詳細なことがわかってしまいます。Appleの新製品だって事前リークがとても正確で、新製品の発表会で驚きに出会うことも少なく、どちらかと言えばすでに知っていることの確認作業になりつつあります。
今にして思えばEP1の公開前はとても良い時代だったと思います。EP6が終わり、もう続編はないと思っていたところに10年以上ぶりに新作のニュースが流れ、公式サイトが小出しに情報をリリース。なかなか核心を突く情報は出てこない中、それでもファンはたった一枚の写真の隅に写っているものから映画の設定を読み解き、撮影現場の写真の機材や俳優達が撮影のために身に付けているものから何のためのシーンかを推理し、映画の内容を色々と議論していました。この、わかりそうでわからないという距離感が気分を盛り上げるのにとても有効に機能していました。
今回情報をシャットアウトできたのはもともとあまり興味がなかったのも大きいと思います。やっと予告編にジョン・ウィリアムズの曲がしっかりと乗ったときに急にやっぱり見ようと思ったのでした。曲の力は偉大です。
で、そんな知識ゼロの状態で観てきましたが期待以上のものを観ることが出来ました。すでに知っているキャラクター、宇宙船、その内装や過去のシーンを彷彿させるシーンに出会ったときに抱く感覚は旧三部作への思い入れの大きさによって違うと思いますので、それだけで「おお!」と思ってしまう私は平均的な観客層から外れていると思いますが、上映終了後の劇場の雰囲気もなかなかみなさん満足していたようです。旧三部作のリアルタイム世代とは思えない人も多かった、というかむしろそっちの方が多かったと思いますが「もう一度観たい」とか「親にも観た方が良いって言わなきゃ」とか言っているのが聞こえてきましたから独立した映画としても楽しめる出来になったいるのだと思います。このあたり、EP1上映終了直後はみんなが疑問を口にしていたのとは対照的です。まぁ、EP1〜EP3は辻褄を合わせながら描かなくてはいけないことが多すぎたという不利な点はあったと思いますが、そもそも描き方が整理されていなく、それなのに新たな要素も加えようとしてしまってそれが裏目に出た感がありますからね。あれ。そうそう、馴染みのものを出すときの出し方もじっくり「ため」があったり不意打ちがあったりと見せ方が考えられています。あと今回は極力CG使用でなくて実際の人やセット、ミニチュアでやっていることもプラス要素です。
さて最後に1つ。BB-8がとてもかわゆいです。あの移動の仕方はR2-D2の反省が反映されてるんでしょうかね?(当時はあれしか手はなかったと思いますが)BB-8は人の歩く速度と同じ速度で移動出来るので見ていて安心。R2-D2は人の方が意識してゆっくり歩かないと置いていかれそうになったり、シーンが長いと「だんだん距離が開いていく〜」とこちらが不安になりましたが今度はストレス・フリーです。
では今回はこのあたりで。ネタバレありの感想はまた別に書くことにします。
12/18/2015
12/17/2015
A John Williams Celebration Blu-ray
先日、ホームシアター機器のデモを覗きに行ったところ使っていたディスクの1つがこの、A John Williams CelebrationのBlu-rayでして、「え?こんなのあったの?」と。知りませんでした。それで早速オーダー。このディスクはロサンゼルス・フィルハーモニックが本拠地であるウォルト・ディズニー・コンサート・ホールで演奏したジョン・ウィリアムズのトリビュートコンサートを収録したものです。
指揮はグスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel)、そしてヴァイオリンにイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)が参加しています。パールマンと言えばシンドラーのリストの主題を演奏した当人。
全体的にこの映像のカメラワークは「このフレーズを奏でているときの演奏者の様子が見たい」という気持ちをあざといくらい叶えてくれる方向で、好みは別れると思いますがなかなか楽しめます。
そして最後はなんとジョン・ウィリアムズ本人の指揮による帝国のマーチ(ダース・ベイダーのテーマ)。私、本人が一曲丸々指揮している姿を初めて見ました。なんかね、「わ〜、本人だ!」と思うわけですよ。もうこれだけで買う価値ありの一枚でした。
指揮はグスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel)、そしてヴァイオリンにイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)が参加しています。パールマンと言えばシンドラーのリストの主題を演奏した当人。
全体的にこの映像のカメラワークは「このフレーズを奏でているときの演奏者の様子が見たい」という気持ちをあざといくらい叶えてくれる方向で、好みは別れると思いますがなかなか楽しめます。
そして最後はなんとジョン・ウィリアムズ本人の指揮による帝国のマーチ(ダース・ベイダーのテーマ)。私、本人が一曲丸々指揮している姿を初めて見ました。なんかね、「わ〜、本人だ!」と思うわけですよ。もうこれだけで買う価値ありの一枚でした。
11/26/2015
バック・トゥ・ザ・フューチャー・イン・コンサート
東京国際フォーラムで開催されたバック・トゥ・ザ・フューチャー・イン・コンサート(Back to the Future in Cancert)に行ってきました。公開30周年記念のイベントでして、BGMをオーケストラの生演奏で映画にシンクロさせて上映するスタイルです。
最初にこのようなスタイルを知ったのはE.T.の20周年ワールドプレミアがあったときで、このときにはあのJohn Williams自らが指揮をしています。そしてこのときの音声はその後リリースされたDVDの付録音声として収録されました。
いずれ機会があったらこのスタイルの上映を体験してみたいと思っていたのがやっと今回叶ったというわけです。私、スター・ウォーズは人に勧めるのをためらう部分も大きいのですが、バック・トゥ・ザ・フューチャーは安心して誰にでも勧められる映画です。久しぶりに観ましたが伏線の巧みさ、それが後の出来事と繋がったときの気持ちよさ、画面の隅にたまに表れる初見で気付く人はほとんどいないのではないか?と思われる遊びとこだわり。そして何よりストーリーも音楽も良く出来ています。
今回の上映では音楽のパートが若干増えていまして、オリジナルでは音楽がなかった箇所にも音楽が振り分けられています。映画作品として考えればここにこんな曲はいらないのでは?と感じる人もいると思いますが、今回のこれは上映イベントであると同時にコンサートイベントでもあるのでこれで良いと思います。
すでに何度も映画を観ているのでどこで曲が入って、どのタイミングで曲のクライマックスが来てというのを案外覚えてしまっているのですが、ちゃんとぴったり一致するのが心地よいです。あまりに記憶との違和感がなさ過ぎてうっかり生演奏であることを忘れてしまうことがあるほど。これ、演奏する側にとってはかなり負荷の高い演奏なのではないかと思います。少しのずれも許されませんから。
今後はこのような映画の楽しみ方も増えるのかもしれません。来年にはレイダースとE.T.の上映イベントがあるそうです。
最初にこのようなスタイルを知ったのはE.T.の20周年ワールドプレミアがあったときで、このときにはあのJohn Williams自らが指揮をしています。そしてこのときの音声はその後リリースされたDVDの付録音声として収録されました。
いずれ機会があったらこのスタイルの上映を体験してみたいと思っていたのがやっと今回叶ったというわけです。私、スター・ウォーズは人に勧めるのをためらう部分も大きいのですが、バック・トゥ・ザ・フューチャーは安心して誰にでも勧められる映画です。久しぶりに観ましたが伏線の巧みさ、それが後の出来事と繋がったときの気持ちよさ、画面の隅にたまに表れる初見で気付く人はほとんどいないのではないか?と思われる遊びとこだわり。そして何よりストーリーも音楽も良く出来ています。
今回の上映では音楽のパートが若干増えていまして、オリジナルでは音楽がなかった箇所にも音楽が振り分けられています。映画作品として考えればここにこんな曲はいらないのでは?と感じる人もいると思いますが、今回のこれは上映イベントであると同時にコンサートイベントでもあるのでこれで良いと思います。
すでに何度も映画を観ているのでどこで曲が入って、どのタイミングで曲のクライマックスが来てというのを案外覚えてしまっているのですが、ちゃんとぴったり一致するのが心地よいです。あまりに記憶との違和感がなさ過ぎてうっかり生演奏であることを忘れてしまうことがあるほど。これ、演奏する側にとってはかなり負荷の高い演奏なのではないかと思います。少しのずれも許されませんから。
今後はこのような映画の楽しみ方も増えるのかもしれません。来年にはレイダースとE.T.の上映イベントがあるそうです。
11/04/2015
スターウォーズ・フィルム・スペクタキュラー
JWFCフィルムハーモニック管弦楽団によるスターウォーズ・フィルム・スペクタキューラーを聴きに行ってきました。全6作からの音楽の演奏です。
MCを務めた神尾保行氏によるとスターウォーズの音楽を演奏するのは楽器構成が大変で今回の音楽アドバイサー戸田信子氏がロンドンフィルの知り合いに、今度日本でスター・ウォーズの音楽をフル構成(といってもDuel of Fatesのコーラスはなし)で演奏すると伝えたら「日本人はクレイジーだ」と返ってきたとか。
以前にStar Wars in Concertを観ましたがあのときは映像に合わせて音楽を演奏するという趣旨でしたので目はスクリーンに向いていました。なので、楽器の演奏や指揮に目を向けてこの音楽を生で聴くのは今回が初めて。
20世紀フォックスのファンファーレからメイン・タイトルに入るのですがこのメインタイトルの出だしはフォックスのファンファーレから上手く繋がるよう音が作られているので、次のディズニー配給のスター・ウォーズではどうなるんでしょうね?
さて、ジェダイの帰還からジャバ・ザ・ハットという曲を演奏したのですが曲中にチューバのソロがあります。あれね、凄いですよ。延々と。CDで聴いてるときは曲の一部として何となく聴いてましたが実際見ると大変そうだな、と。そばに医師と看護師が控えてていいレベル。
そして、休憩を挟んで新三部作に入ります。ここで指揮の山下伸介氏やコンサート・マスターの金子昌憲氏等がジェダイの格好で登場。そういえば休憩中にステージ上で楽器の移動する人達がトルーパーのかぶり物してずっと作業してたんですが、あれ、視野狭くてひやひやしました。
で、神尾氏が曲の解説でジャージャーの話をするときにさらっと「例の」ジャージャーの・・・と言ったのが印象的。あぁ、ここでもこういう扱いなのね。
運命の闘いはコーラスなしでの演奏でしたが、もうこれは名曲です。当時、この曲が紹介されたされ方も良かったと、というか得してる思います。まだインターネットで情報が容易には得られなかった時代、スターウォーズの新作が作られるという話にファンは少しでも情報を得ようとネットを隅々まで探し、たった一枚の写真からどんな世界が繰り広げられるのか想像をふくらませ・・・、そんなときに満を持して公開されたのが運命の闘いを使ったミュージックビデオで、メイキングの様子や映画のシーンの断片に興奮したものです。
今だったら情報を探そうものなら、うっかりかなり正確なネタバレを見てしまうリスクの方が高いですから、期待や渇望がギリギリの所で一線を踏み越えないでいられるよき時代でした。
ちなみに、エピソード2からはアクロス・ザ・スターの一曲のみ。あ、やっぱりこの映画の扱いは曲でもこんな感じか。この曲は綺麗な曲なのに逆に映画のせいで損しているのではないかと。エピソード2にはラブストーリーの要素も入ると聞いて「おいおい」と思ったものですが不安はそれを上回る形で見事に的中。曲と映像がリンクしてしまっているので、曲を聴く度にあんあシーンやこんなシーンを思い出してしまいいたたまれなくなることがあります。あ、映画での最後のヨーダの活躍は良かったですよ。やっぱり強かったんだ、と。いえ、疑ってませんでしたけどね。
エピソード3からはBattle of the Heroesが聴けて良かったです。今作のミュージックビデオがこの曲でしたが確か当初はファンの間での評価は芳しくなかったと思います。ぱっとしないというか、スターウォーズらしくないというか。でも繰り返し聞いているうちに耳に残って気に入ってしまうという不思議な曲です。
音楽に疎い私は未だにこの曲が何拍子なのかよくわからず、え?途中で拍が変わってる?などと思いながら聴いているのが常なのですが、ついに指揮者の動きを見ることが出来ました。へぇ~、と。結局、拍に関しては実はよくわからなかったのですが堪能しました。
アンコールはダースベイダーの死、うわっ、マニアックなチョイス。映画公開時にリリースされたサントラに入ってない曲で(【2015/11/05追記】わ〜、すいません、すいません。今チェックしたらサントラに入っていたようです。おかしいな、何と間違えたのかな。)、神尾氏も日本での演奏は初ではないかと言ってました。そかし、アンコールは勿論ここでは終わらず最後に王座の間からエンド・タイトルで終了。そりゃね、ダースベイダーの死でコンサート終わるわけにはいかないし、王座の間のあのブラスの響きをまだ聴いてないよなと会場の人の大半は思ってたでしょうから期待通りの終わり方でした。
実は正直、今度のスターウォーズに関しては以前の三部作ほど、いえ、全く気が乗っていなかったのですが少し前に公開された予告編と今回のコンサート体験で前向きな気持ちを得ることが出来ました。
予告編もお馴染みのキャラクターが出てたのもありますが、ジョン・ウィリアムズの曲を聴いたのも大きいです。音楽の力は偉大。
MCを務めた神尾保行氏によるとスターウォーズの音楽を演奏するのは楽器構成が大変で今回の音楽アドバイサー戸田信子氏がロンドンフィルの知り合いに、今度日本でスター・ウォーズの音楽をフル構成(といってもDuel of Fatesのコーラスはなし)で演奏すると伝えたら「日本人はクレイジーだ」と返ってきたとか。
以前にStar Wars in Concertを観ましたがあのときは映像に合わせて音楽を演奏するという趣旨でしたので目はスクリーンに向いていました。なので、楽器の演奏や指揮に目を向けてこの音楽を生で聴くのは今回が初めて。
20世紀フォックスのファンファーレからメイン・タイトルに入るのですがこのメインタイトルの出だしはフォックスのファンファーレから上手く繋がるよう音が作られているので、次のディズニー配給のスター・ウォーズではどうなるんでしょうね?
さて、ジェダイの帰還からジャバ・ザ・ハットという曲を演奏したのですが曲中にチューバのソロがあります。あれね、凄いですよ。延々と。CDで聴いてるときは曲の一部として何となく聴いてましたが実際見ると大変そうだな、と。そばに医師と看護師が控えてていいレベル。
そして、休憩を挟んで新三部作に入ります。ここで指揮の山下伸介氏やコンサート・マスターの金子昌憲氏等がジェダイの格好で登場。そういえば休憩中にステージ上で楽器の移動する人達がトルーパーのかぶり物してずっと作業してたんですが、あれ、視野狭くてひやひやしました。
で、神尾氏が曲の解説でジャージャーの話をするときにさらっと「例の」ジャージャーの・・・と言ったのが印象的。あぁ、ここでもこういう扱いなのね。
運命の闘いはコーラスなしでの演奏でしたが、もうこれは名曲です。当時、この曲が紹介されたされ方も良かったと、というか得してる思います。まだインターネットで情報が容易には得られなかった時代、スターウォーズの新作が作られるという話にファンは少しでも情報を得ようとネットを隅々まで探し、たった一枚の写真からどんな世界が繰り広げられるのか想像をふくらませ・・・、そんなときに満を持して公開されたのが運命の闘いを使ったミュージックビデオで、メイキングの様子や映画のシーンの断片に興奮したものです。
今だったら情報を探そうものなら、うっかりかなり正確なネタバレを見てしまうリスクの方が高いですから、期待や渇望がギリギリの所で一線を踏み越えないでいられるよき時代でした。
ちなみに、エピソード2からはアクロス・ザ・スターの一曲のみ。あ、やっぱりこの映画の扱いは曲でもこんな感じか。この曲は綺麗な曲なのに逆に映画のせいで損しているのではないかと。エピソード2にはラブストーリーの要素も入ると聞いて「おいおい」と思ったものですが不安はそれを上回る形で見事に的中。曲と映像がリンクしてしまっているので、曲を聴く度にあんあシーンやこんなシーンを思い出してしまいいたたまれなくなることがあります。あ、映画での最後のヨーダの活躍は良かったですよ。やっぱり強かったんだ、と。いえ、疑ってませんでしたけどね。
エピソード3からはBattle of the Heroesが聴けて良かったです。今作のミュージックビデオがこの曲でしたが確か当初はファンの間での評価は芳しくなかったと思います。ぱっとしないというか、スターウォーズらしくないというか。でも繰り返し聞いているうちに耳に残って気に入ってしまうという不思議な曲です。
音楽に疎い私は未だにこの曲が何拍子なのかよくわからず、え?途中で拍が変わってる?などと思いながら聴いているのが常なのですが、ついに指揮者の動きを見ることが出来ました。へぇ~、と。結局、拍に関しては実はよくわからなかったのですが堪能しました。
アンコールはダースベイダーの死、うわっ、マニアックなチョイス。映画公開時にリリースされたサントラに入ってない曲で(【2015/11/05追記】わ〜、すいません、すいません。今チェックしたらサントラに入っていたようです。おかしいな、何と間違えたのかな。)、神尾氏も日本での演奏は初ではないかと言ってました。そかし、アンコールは勿論ここでは終わらず最後に王座の間からエンド・タイトルで終了。そりゃね、ダースベイダーの死でコンサート終わるわけにはいかないし、王座の間のあのブラスの響きをまだ聴いてないよなと会場の人の大半は思ってたでしょうから期待通りの終わり方でした。
実は正直、今度のスターウォーズに関しては以前の三部作ほど、いえ、全く気が乗っていなかったのですが少し前に公開された予告編と今回のコンサート体験で前向きな気持ちを得ることが出来ました。
予告編もお馴染みのキャラクターが出てたのもありますが、ジョン・ウィリアムズの曲を聴いたのも大きいです。音楽の力は偉大。
9/17/2015
マジックを英語で演技するに際して考えるあれこれ 2
前述の通り、日本国内では海外のお客様相手でも日本語の演技で構わないとの主張を自分でも実践してました。無理して英語で演技をして次のセリフで秘密の動作をしようと思っているときに、「え?」と聞き返されて何かのタイミングを失ったり、セリフを何度も言い直すうちに間が延び、集中力が削がれ、効果が減じてしまうリスクがあるなら、いつもの言葉での演技の方が総合点は高くなると思うわけです。とは言っても非日本語ネイティブの人に向かって演技を日本語でやり通すのはそれはそれで練習と気力が必要です。つい、変に間を取ってしまったりしていつもの演技と変わってしまいがちなのは経験ある方もいらっしゃるでしょう。
さて、3~4年くらい前に海外に遊びに行ったときにタクシーのドライバーの方やバーでバーテンダーの方と「もう少し話せると良いなぁ」と思い始め、それには英語を使う場が必要・・・そうだ、マジックの仕事場でたまに英語圏からのお客さんが来るじゃないか、と。ですから英語での演技の始まりはとても邪な気持ちでして、マジックの場を英語の練習の場としてしまおうと考えました。
ところで、マジックを英語で演じるというのは英「会話」の練習の手前段階としてかなり有効だと感じます。普通はそういう場がなく知識を入れたらあとは会話の実践の場に出るしかないのでしょうが、マジックの演技は事前に言うことを準備出来ますし、返ってくる反応もある程度予測出来ます。そして自分の発している言葉が通じてるかどうかもチェック出来ます。また、相手が話を聞くスタンスでいてくれることもメリットです。自分への興味と相手が話を聞いてくれようとする意志は相関があると思います。(例えマジックの力を借りようとも)自分が相手にとって興味深い存在であれば多少言葉が拙くても話を聞こうとしてくれます。これ、自分の発信する内容がいつまで経っても「日本に行ったことありますか?」「寿司は好きですか?」で、しかも発する英語が崩れていては、それは相手も疲れるしその場から離れたくもなります。
そうは言っても、最初は話す事に意識を持って行かれて日本語の時より手に意識は行ってませんでした。リソースメータは振り切ってましたね。発音も例えばplaying cardsがplaying carsになってたり(どう違うの?って興味ある方はこちらの動画で)、six of heartsがsix of hurtsになってたりとか、さらには完全なカタカナ発音になってたりとか、まぁ、色々と超えるべきハードルはあったと思います。(発音だけは自力では手に負えなくて人の所に押しかけたのが一年ちょっと前。このあたりの話はすでに一度書いています。ん? どこに書いたっけ?)
但し発音は、今改めて思うのは抑えるところだけ抑えておけばあまりシビアに追求しなくても伝わりますね。勿論、これもバランスの問題で発音の精度が下がるなら、その分、発する文は文法ルールから大きく破綻してないとか、リズムやアクセントがそこそこ適切である必要はあり、発音の精度が高ければ単語だけでも通じやすくなります。でも発音をある程度やっておくと、話すのが楽になるって面はあります。そしてその分、他に意識を向けることが出来るのはメリットです。
そして最終的にはどうしたら英語を話せるようになるかというのは実は私にとってまだまだ謎です。五年前はまだまだまずは頭の中で英作文をし、その脳内メモ帳に書いた英文を声を出して読むという感じでした。ようやく、日本語からの英作文をせずに話し始められるようになったかなって程度で、まだまだ言葉につまることもしばしば。ちゃんと話せている人がどうやってそこに至ったのかは興味ある話題でもあります。自分はこうやって克服したよって方法がある方は是非お聞かせ下さい。
・・・と終わりにしようと思ったところで1つ思い出しました。マジック的な視点の話を1つ。演技が始まってしまえば言葉なんてどうにかなってしまうと思いますが、演技を始める前、例えばテーブルホップなどでテーブルに入るときの「よろしかったらマジックご覧になりますか?」のような一言。これは案外盲点です。案外気が回らない。で、その場になってまごつきがち。でもお客様の空間に割って入るわけですし、ここであたふたするとマジックへの興味も半減してしまいますからここで発する言葉は出たとこ勝負でなくて先に考えておくと良いと思います。
さて、3~4年くらい前に海外に遊びに行ったときにタクシーのドライバーの方やバーでバーテンダーの方と「もう少し話せると良いなぁ」と思い始め、それには英語を使う場が必要・・・そうだ、マジックの仕事場でたまに英語圏からのお客さんが来るじゃないか、と。ですから英語での演技の始まりはとても邪な気持ちでして、マジックの場を英語の練習の場としてしまおうと考えました。
ところで、マジックを英語で演じるというのは英「会話」の練習の手前段階としてかなり有効だと感じます。普通はそういう場がなく知識を入れたらあとは会話の実践の場に出るしかないのでしょうが、マジックの演技は事前に言うことを準備出来ますし、返ってくる反応もある程度予測出来ます。そして自分の発している言葉が通じてるかどうかもチェック出来ます。また、相手が話を聞くスタンスでいてくれることもメリットです。自分への興味と相手が話を聞いてくれようとする意志は相関があると思います。(例えマジックの力を借りようとも)自分が相手にとって興味深い存在であれば多少言葉が拙くても話を聞こうとしてくれます。これ、自分の発信する内容がいつまで経っても「日本に行ったことありますか?」「寿司は好きですか?」で、しかも発する英語が崩れていては、それは相手も疲れるしその場から離れたくもなります。
そうは言っても、最初は話す事に意識を持って行かれて日本語の時より手に意識は行ってませんでした。リソースメータは振り切ってましたね。発音も例えばplaying cardsがplaying carsになってたり(どう違うの?って興味ある方はこちらの動画で)、six of heartsがsix of hurtsになってたりとか、さらには完全なカタカナ発音になってたりとか、まぁ、色々と超えるべきハードルはあったと思います。(発音だけは自力では手に負えなくて人の所に押しかけたのが一年ちょっと前。このあたりの話はすでに一度書いています。ん? どこに書いたっけ?)
但し発音は、今改めて思うのは抑えるところだけ抑えておけばあまりシビアに追求しなくても伝わりますね。勿論、これもバランスの問題で発音の精度が下がるなら、その分、発する文は文法ルールから大きく破綻してないとか、リズムやアクセントがそこそこ適切である必要はあり、発音の精度が高ければ単語だけでも通じやすくなります。でも発音をある程度やっておくと、話すのが楽になるって面はあります。そしてその分、他に意識を向けることが出来るのはメリットです。
そして最終的にはどうしたら英語を話せるようになるかというのは実は私にとってまだまだ謎です。五年前はまだまだまずは頭の中で英作文をし、その脳内メモ帳に書いた英文を声を出して読むという感じでした。ようやく、日本語からの英作文をせずに話し始められるようになったかなって程度で、まだまだ言葉につまることもしばしば。ちゃんと話せている人がどうやってそこに至ったのかは興味ある話題でもあります。自分はこうやって克服したよって方法がある方は是非お聞かせ下さい。
・・・と終わりにしようと思ったところで1つ思い出しました。マジック的な視点の話を1つ。演技が始まってしまえば言葉なんてどうにかなってしまうと思いますが、演技を始める前、例えばテーブルホップなどでテーブルに入るときの「よろしかったらマジックご覧になりますか?」のような一言。これは案外盲点です。案外気が回らない。で、その場になってまごつきがち。でもお客様の空間に割って入るわけですし、ここであたふたするとマジックへの興味も半減してしまいますからここで発する言葉は出たとこ勝負でなくて先に考えておくと良いと思います。
9/07/2015
マジックを英語で演技するに際して考えるあれこれ 1
先日、マジックバー・サプライズにいらっしゃったお客様のグループがアメリカの方を含むグループで「演技を出来たら英語で」とのことでした。そのお客様はマジックへの理解もある方でして同時に「マジックのいつものリズムが崩れるようなら日本語で構わないです」とも言っていただいたのですが、色々と気付いたり考察出来る経験でした。
そもそも私は日本国内において海外からのお客様にマジックを見せる際には特別な事情がない限りは日本語で普段通りに演じて構わないと思っています。ブログにも以前書いた記憶があります。
しかし英語で演じることを否定しているわけでもなく自分の付加価値としてとか、キャラクター性の中で英語で演じるという選択肢を持っておくのはそれはそれでありかと。もし英語で演じるのならそのスタイルはキャラクターに合っている必要はあると思います。自分の世界を作るために衣装を選び、(通常時の)日本語のセリフを造り、アクセサリーを身につけ・・・とやっているわけですから英語での演技もやるならその世界を補強するものでなくてはならないわけです。決して流ちょうに話すべきと言っているのでなく、適切なときに適切な単語をぽんと一言発するだけにしても、その人らしいやり方があると思います。
普段接している中から二人例を挙げるならまず進夢氏。本人も言っていますが英語は決して得意でなくボキャブラリーも文法知識も忘却の彼方気味で当初は適切な一言を出すにも苦労したり、ひねり出した英語表現が伝わらず、どうしてもマジックの流れを壊してしまうことが起こってました。が、一年くらい経ったあたりから適切な単語がぽんと出るようになり、また、なまじ英単語のスペルの知識がないだけに信用するのは自分の耳しかなく、音がローマ字から連想されるカタカナに引っ張られることが少ないのが功を奏して聞き返される事態もあまり起こりません。
少し前に進夢氏がマジック道具を購入されたお客様に使い方の説明をしていたのですが、その道具、手渡しの際にロックがかかる機構でしてそのあたりの説明どうするのかなと思って見ていたら「ディス イズ シークレット ボタン」。いや、凄いと思いました。実際の機構はボタンではないのですが言いたいことはちゃんと通じてました。
もう一人はオーナーの龍生氏。こちらもご本人は英語が苦手と言ってるのですが、やはり現場で培った力というか、サプライズのオープン当初よりも現在の外国人対応力はかなり高いなぁと思って見ております。勿論決して現場経験で「自然に楽して」身についたわけでなく努力もされたのでしょうし、マジックに関する英語の文献も読んでいるとのことなので、そこからマジックに使う単語や表現を吸収したというのもあるでしょう。
ですので想像するに、現場経験を経ることで英語文献などに触れたときに使えそうな単語や表現を選ぶことが出来、それをまた現場で使う事でブラッシュアップされていく、という良いスパイラルが出来ているのではないかなと。何が凄いって日本語での演技時のキャラクターとテンションが外国人の前での演技でも全く損なわれませんから。英文のセリフを終始話し続けなくても外国人相手の演技を成立させられるという好例であると思います。
さて、自分の場合はどうかというと「秋元は英語が以前から話せる」と大きな誤解を受けていますが、海外旅行で不安がない程度の力はあったものの(<何も大きなトラブルがなかったときの話)会話力とか、マジックで流れを壊さないだけの英語表現スキルがあったかというと五年前は全くありませんでした。意識して改善しようと思ったのが三年前です。
先日久しぶりに有名な文法書のForestを読んでみたのですが(実は有名であるのは後から知った)、そういう日本語を使って英語を理解、みたいな経験をすると、今でもしばらくは英語を英語として(ホント、元からそんな高くはないですけども)は理解出来ない頭の使い方に戻ってしまい復帰させるのに数週間かかりました。その意味ではまだまだ定着していませんね。通訳とか翻訳とか今やったら(いや、出来るかどうかはさておいて)この三年の積み上げは一気にリセットされてしまうんじゃないでしょうか。所詮、未だにそれくらいということです。
※上にお二人の例を書きましたが、どうしても人のスキルの感想を書くと上からの物言いのようになってしまいがちで、それは本意ではないのですが、そのように見えたとしたら私の文章力の問題です。
長くなったので、その2に続きます。
そもそも私は日本国内において海外からのお客様にマジックを見せる際には特別な事情がない限りは日本語で普段通りに演じて構わないと思っています。ブログにも以前書いた記憶があります。
しかし英語で演じることを否定しているわけでもなく自分の付加価値としてとか、キャラクター性の中で英語で演じるという選択肢を持っておくのはそれはそれでありかと。もし英語で演じるのならそのスタイルはキャラクターに合っている必要はあると思います。自分の世界を作るために衣装を選び、(通常時の)日本語のセリフを造り、アクセサリーを身につけ・・・とやっているわけですから英語での演技もやるならその世界を補強するものでなくてはならないわけです。決して流ちょうに話すべきと言っているのでなく、適切なときに適切な単語をぽんと一言発するだけにしても、その人らしいやり方があると思います。
普段接している中から二人例を挙げるならまず進夢氏。本人も言っていますが英語は決して得意でなくボキャブラリーも文法知識も忘却の彼方気味で当初は適切な一言を出すにも苦労したり、ひねり出した英語表現が伝わらず、どうしてもマジックの流れを壊してしまうことが起こってました。が、一年くらい経ったあたりから適切な単語がぽんと出るようになり、また、なまじ英単語のスペルの知識がないだけに信用するのは自分の耳しかなく、音がローマ字から連想されるカタカナに引っ張られることが少ないのが功を奏して聞き返される事態もあまり起こりません。
少し前に進夢氏がマジック道具を購入されたお客様に使い方の説明をしていたのですが、その道具、手渡しの際にロックがかかる機構でしてそのあたりの説明どうするのかなと思って見ていたら「ディス イズ シークレット ボタン」。いや、凄いと思いました。実際の機構はボタンではないのですが言いたいことはちゃんと通じてました。
もう一人はオーナーの龍生氏。こちらもご本人は英語が苦手と言ってるのですが、やはり現場で培った力というか、サプライズのオープン当初よりも現在の外国人対応力はかなり高いなぁと思って見ております。勿論決して現場経験で「自然に楽して」身についたわけでなく努力もされたのでしょうし、マジックに関する英語の文献も読んでいるとのことなので、そこからマジックに使う単語や表現を吸収したというのもあるでしょう。
ですので想像するに、現場経験を経ることで英語文献などに触れたときに使えそうな単語や表現を選ぶことが出来、それをまた現場で使う事でブラッシュアップされていく、という良いスパイラルが出来ているのではないかなと。何が凄いって日本語での演技時のキャラクターとテンションが外国人の前での演技でも全く損なわれませんから。英文のセリフを終始話し続けなくても外国人相手の演技を成立させられるという好例であると思います。
さて、自分の場合はどうかというと「秋元は英語が以前から話せる」と大きな誤解を受けていますが、海外旅行で不安がない程度の力はあったものの(<何も大きなトラブルがなかったときの話)会話力とか、マジックで流れを壊さないだけの英語表現スキルがあったかというと五年前は全くありませんでした。意識して改善しようと思ったのが三年前です。
先日久しぶりに有名な文法書のForestを読んでみたのですが(実は有名であるのは後から知った)、そういう日本語を使って英語を理解、みたいな経験をすると、今でもしばらくは英語を英語として(ホント、元からそんな高くはないですけども)は理解出来ない頭の使い方に戻ってしまい復帰させるのに数週間かかりました。その意味ではまだまだ定着していませんね。通訳とか翻訳とか今やったら(いや、出来るかどうかはさておいて)この三年の積み上げは一気にリセットされてしまうんじゃないでしょうか。所詮、未だにそれくらいということです。
※上にお二人の例を書きましたが、どうしても人のスキルの感想を書くと上からの物言いのようになってしまいがちで、それは本意ではないのですが、そのように見えたとしたら私の文章力の問題です。
長くなったので、その2に続きます。
7/29/2015
Google Voiceを利用開始
Google Voiceがコンピュータやスマートフォンから他の電話に向かって固定電話に3セント、携帯電話に9セント(2015年7月)で発信出来るサービスであるというあたりはGoogle先生に聞いてみて下さい。但し発信者の番号は非通知になります。これはGoogleが対応していないというよりはSkypeも日本の電話番号を発信者番号として使えないことと原因は同じで、詐欺などに利用されることを避けるための総務省の方針ということらしいです。
…ということよりも、ここで書いておきたいのは何が便利なのかという話。まず発信者の番号ですが日本の電話番号は取れませんが頑張るとアメリカの電話番号は取ることができます。一番まっとうな頑張り方はアメリカに行ったときに取る。または…、まぁ、このあたりの方法もGoogle先生が知っていることでしょう。なので話を進めます。
まず前提として、私はアメリカに行ったときにスマートフォンを日本と同じ環境、つまりポータブルWi-Fiルーターを持ち歩いたり、二台持ちになったりせずに使えるようプリペイドのSIMを使っています。私が使っているSIMはチャージすることで90日間有効になるので90日ごとに日本からオンラインでチャージしています。
SIMは旅行が終わる度にその都度使い捨てても良いのですが、わざわざ維持しているのは航空会社など幾つかのアメリカのサイトに自分の連絡先として電話番号を登録していたり、何人かの海外在住の知り合いに滞在時の番号として伝えたりしているので出来れば電話番号を変えたくないというのが大きな理由です。
さて、Google Voice番号には自分の所有している(アメリカの)回線の電話番号を紐付けて使う事が出来ます。例えば電話Aと電話BをGoogle Voice番号に紐付けると、Google Voice番号に着信があると電話AとB、さらにコンピュータやスマートフォン上のHangoutsの着信音が一斉に鳴りだし、どれからでも通話を開始することが出来ます(また、Hangoutsから発信すれば発信者としてGoogle Voice番号が相手の端末に表示されます)。ということは今後はGoogle Voice番号を海外のサービスや知人に教えておけば、その下にぶら下がっている電話番号が変わっても紐付けし直せば外側から見たら全く変更がないことになります。ほら便利。
また、今までは日本に帰ってきてしまえばSIMを通常利用の日本のキャリアのSIMに入れ替えるので、アメリカ滞在用番号に着信があっても受けられなかったのですが、Google Voice番号への着信は前述したとおり日本にいてもHangoutsは鳴るわけです。また不在着信をメールで知らせてくれるようにすることも出来ます。
さらにこの着信音を鳴らす端末は例えば平日は電話Aを鳴らし、週末は電話Bを鳴らすとか、誰は留守電に応答させて誰は着信させるとか細かく設定出来ます。さらにこれはまだ試していませんが留守電の内容をテキストメッセージにして受け取ることも可能です。これ、英語のリスニングは大変ですが文字でやって来るなら負担減りますね。そうそう、通話を録音したり、通話の途中で使っている端末を切り替えられる機能も便利かもしれません。
最大の難所は、前述の通り、Google Voice番号の取得なのですがそこをクリア出来ればなかなか便利ですので、機会があったら皆様も是非。
…ということよりも、ここで書いておきたいのは何が便利なのかという話。まず発信者の番号ですが日本の電話番号は取れませんが頑張るとアメリカの電話番号は取ることができます。一番まっとうな頑張り方はアメリカに行ったときに取る。または…、まぁ、このあたりの方法もGoogle先生が知っていることでしょう。なので話を進めます。
まず前提として、私はアメリカに行ったときにスマートフォンを日本と同じ環境、つまりポータブルWi-Fiルーターを持ち歩いたり、二台持ちになったりせずに使えるようプリペイドのSIMを使っています。私が使っているSIMはチャージすることで90日間有効になるので90日ごとに日本からオンラインでチャージしています。
SIMは旅行が終わる度にその都度使い捨てても良いのですが、わざわざ維持しているのは航空会社など幾つかのアメリカのサイトに自分の連絡先として電話番号を登録していたり、何人かの海外在住の知り合いに滞在時の番号として伝えたりしているので出来れば電話番号を変えたくないというのが大きな理由です。
さて、Google Voice番号には自分の所有している(アメリカの)回線の電話番号を紐付けて使う事が出来ます。例えば電話Aと電話BをGoogle Voice番号に紐付けると、Google Voice番号に着信があると電話AとB、さらにコンピュータやスマートフォン上のHangoutsの着信音が一斉に鳴りだし、どれからでも通話を開始することが出来ます(また、Hangoutsから発信すれば発信者としてGoogle Voice番号が相手の端末に表示されます)。ということは今後はGoogle Voice番号を海外のサービスや知人に教えておけば、その下にぶら下がっている電話番号が変わっても紐付けし直せば外側から見たら全く変更がないことになります。ほら便利。
また、今までは日本に帰ってきてしまえばSIMを通常利用の日本のキャリアのSIMに入れ替えるので、アメリカ滞在用番号に着信があっても受けられなかったのですが、Google Voice番号への着信は前述したとおり日本にいてもHangoutsは鳴るわけです。また不在着信をメールで知らせてくれるようにすることも出来ます。
さらにこの着信音を鳴らす端末は例えば平日は電話Aを鳴らし、週末は電話Bを鳴らすとか、誰は留守電に応答させて誰は着信させるとか細かく設定出来ます。さらにこれはまだ試していませんが留守電の内容をテキストメッセージにして受け取ることも可能です。これ、英語のリスニングは大変ですが文字でやって来るなら負担減りますね。そうそう、通話を録音したり、通話の途中で使っている端末を切り替えられる機能も便利かもしれません。
最大の難所は、前述の通り、Google Voice番号の取得なのですがそこをクリア出来ればなかなか便利ですので、機会があったら皆様も是非。
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