6/29/2015

海外旅行の際のスマートフォン利用 プリペイドSIMについて

スマートフォンで店の検索、スケジュール管理、コミュニケーション、SNSへの投稿など色々な事を普段行っていると海外に行く際にも同じ環境を使いたいと思います。いや、むしろ慣れてない土地でこそ力を発揮するアプリすらあるわけです。しかしそこで立ちはだかるのが高額なデータ通信料の壁。以前は海外では定額ではなかったために帰国したら十万円もの請求が舞い込むなんて事もあったようですが、今は定額制を導入しているキャリアもあるのでそこまで悲惨なことにはならないと思います。
とは言っても(以下、アメリカでの利用で考えますが)、例えばNTTドコモの場合、20万パケット、大体24.4MBまでで1980円。それを超えると使用量に応じて上がり、20.5万パケットで2980円。以降はどれだけつかってもこの額です。日によって沢山使ったり、そうでもなかったりとあるでしょうし、極力はホテルの部屋のネットを使うようにしたとしても5日間の滞在で10000円くらいは使ってしまいそうです。詳しくはこちら
一方でポータブルWi-Fiルーター、これは幾つかの会社がやっていますが概ねアメリカであれば一日1000円前後。ということは5日間で5000円ってところでしょうか。かなり安く利用出来ます。但し、使いたいときに電源をオンにして使い終わったらオフに、というのは面倒だしプッシュ式のサービスを常時受けることが出来なくなってしまいます。その点に関しては常にルーターの電源を入れておけばいいのですが、いずれにしても荷物が一つ増えます。また、通話に使えないので現地で連絡を知人と取り合ったり、日本でのときのようにどこかの場所を調べてその検索結果から即電話というようなシームレスな連携も出来ません。短期間の滞在でどれだけ音声通話が必要なときがあるかは人それぞれと思いますが日本での利用より若干不便になる点は否めません。
それでここ5年ほど私が利用しているのが現地のプリペイドSIMの利用。使っている電話がSIMフリー機であれば、日本で使っている会社のSIMを抜いて、現地のSIMを刺せば現地の料金体系で(SIMの契約内容によりますが>)音声通話もデータ通信も可能になります。大まかに書けば、SIMを入手してそのSIMに数十ドルくらいをチャージ。これはオンラインで行えますが、この段階ではスマートフォンでネットはまだ使えないので、ホテルの部屋で行えば良いでしょう。そしてスマートフォンのAPNを設定したら(これは慣れないと面倒ですが指示通りに入れていけば良いので難しいことはあまりないです)それで使えるようになります。
以前はAT&TのGoPhone用SIMを使っていたのですがこれは最初にSIMを有効化(アクティベーション)するために、そのSIMの電話番号でSMSを受け取る必要があります(2010年頃の話です)。ということは現地入りしてからでないとこの作業が出来ないので少々面倒でした。


そこで最近使っているのがH2O WirelessのPay as You Goのプラン。SIMはeBayあたりで入手して、チャージ用のPINナンバーはオンラインで購入。アクティベーションでSMSを受ける必要がないので事前に日本で済ませられますし、チャージもオンラインで可能です。料金は10ドルのプランからあり、データは1MBあたり10セント。私、外では30MBくらいしか一日に使わないので5日の滞在なら150MB、ということは20ドルもチャージしておけば充分って事になります。一回のチャージでその日から90日有効となるので維持費と思って90日ごとに10ドルのチャージを日本から行っています。
一回の滞在で使えれば構わない、維持の必要がない人はそのまま放っておいて構わないでしょう。
ポータブルルーターがそこそこ安価に利用出来るので総合的にはこちらの方が良いとの判断ももちろんありです。しかし、いざ海外で行動してみると知人との連絡や、予約したレストランに少し遅れそうなとき等々、なければないで良いものの通話が出来れば少しだけ便利というシーンも少なくありません。そんなときには現地プリペイドSIMが便利です。

6/22/2015

フォトブックの奨め

私、数年前までは食事に行っても、旅行に行っても、そういった状況で写真を撮るのが苦手でした。写真を撮ることを気にすると本来の目的を楽しむことが出来なかったんです。なのでデジタルカメラを持ち歩くこともあまりせず、スマートフォンのカメラも積極的に使うことはしてませんでした。
ところが、ミラーレス一眼を買ったのが二年前。そもそもどうして買ったのかは、ま、色々あるのですが、とにかく遊んでいるうちに写真を撮るのも悪くないと思い始め、現在に至っております。 確かに写真を撮り慣れて撮ることにストレスがなくなってくると、「あ、撮っておいて良かったな」と思うことが少なくありません。特に撮った直後よりも時間が経ってから見返すとその思いが強くなります。
が、見返すと言ってもそこは今やデジタル時代、多くの人にとって写真を見るのはスマートフォンやタブレット、コンピュータなどのモニターであることがほとんどで、プリントアウトしたりアナログな意味でのアルバムを作ったりということはあまりないのではないかと思います。 話は逸れますが写真のアスペクト、4:3とか3:2あたりがメジャーで16:9はまだまだ少数派だと思います(スマートフォンの初期設定が16:9で、それを直さないまま何となく使っている例は除く)。が、私は最初からほとんどの写真を16:9で撮っています。これは後で見返すときに、折角ならスマートフォンの小さいディスプレイより大きいテレビ(自分の家で最も大きい表示デバイスはプロジェクターを除けばテレビです)で見る方が楽しめるわけで、そのテレビの画面に収まるようにと考えると必然的に16:9になるわけです。 で、話を戻すと、そうやって日常では何らかのディスプレイで写真を見ることがほとんどですがたまに今まで撮った写真を昔ながらのアナログ的意味での写真っぽく見てみたくなります。わざわざ光沢紙に印刷してみることもありますが、何種類も印刷するとそれはそれでかさばるし・・・ということで目を付けたのがフォトブック制作サービス。



写真管理はMacのApertureで行っているのでこのアプリケーション上でフォトブックを作ってその流れでオンラインで注文出来ます。しかもクオリティもなかなか良く、到着も早い。今回の場合、注文した翌日には発送通知が来てそのまた翌日には届きました。全部で三日。ちなみにApertureが使えることはMacの利点としてぱっと思い付く3点のうちの1つです。ちなみにWindowsの利点として浮かぶのも3つ。引き分け。

6/16/2015

学校の勉強で実生活に直結して役立ってるものと言えば

学校での勉強は役立つか? からの続きです

さて、一方で学生の頃にやって実生活に目に見えて役立っているのは英語。お客様の中に外国人がいたとき、興味ある映画、商品の情報を調べるとき、コンピュータやスマートフォンの使い方で躓いたときなど、日本語のみと英語まで範囲を広げた場合では得られる情報量や速度に(必ずしも質ではないけども)圧倒的な差がある。好きな小説や映画が早く手に入れられるなどの目に見えての得もある。一つ一つはささやかであってもその積み重ねは案外大きい。
そしてつくづく自分の英語力の基盤は中学・高校英語で培ったものだと感じる。おそらく知識的には以降、ほとんど上積みされていない。むしろ全体的には減ってる。気になる記事を読んだり情報収集などをたまにしているので、そこから得る知識が少しあり、同時に力の急降下は招かずに済んでいるが、留学経験があるわけでもないし、日常的に英語圏の人と接する環境があったこともないし、あくまでもベースは学校英語と言い切れる。それに、高校英語までで大抵の言いたいことは言えるはず。
が、これを大人になってから1から身につけるのは時間的にも労力的にも相当大変だと思う。ならば、学生時代やらなければいけないときにやって、極力忘れないようにしておくのが効率が良い。一部から批判されることもある学校英語だが基礎から体系的に学ぶ方法として全く間違ってない。
そんなことを常々たまに(<どっちだよ)主張している割に英検もTOEICも受けたことがなく客観的評価を持ってなかったので去年受けてみたことはこちらに書いたが、スコア、もの凄く高いわけではないし、そもそも世間的にこのスコアだったらこれくらい出来る、といわれていることを見て「いや、そんなに出来ないよなぁ」と思う。それだけの伸びしろがあると前向きに考えることにしているが。


でも言えることは特にTOEIC学校に通ったわけでも、頻出単語を集中的にやるなどして最適化をはかったわけでもなく(形式に慣れる練習はした)、高校英語がベースであとは実生活で興味ある対象に触れることでこれくらい。
日本で生活していると学校でも日常生活でもなかなかアウトプットの練習をする場がないのが難点だけども、逆に言えば高校英語までがそれなりに入っていれば、もうあとはアウトプットの練習だけ。一方、それがないまま「とにかく場数が大事」主義に走ってしまうと相手の推測力に依存しつつ自分のあまり高くない力量で上手いこと伝えるテクニックが身についてしまう。
人から聞いたエピソードで、その人は学校の研究室などで海外から留学してくる人と接する機会が多く、同時に別のエリアで海外から日本に働きに来ていて現場で日本語を覚えた人達とも接する機会があるとのこと。曰く、前者の人々は配属当初はほとんど日本語が話せない。でも、そもそも日本に留学してくるということは事前に日本語の勉強も文法から語彙からやっている。すると半年から一年でかなり正確な日本語を話せるようになる。一方後者の人々は事前に日本語の勉強をしたわけでなく、現場で必要な単語、コミュニケーション術を身につけて日々仕事を支障なく行っている人々で、こちらの日本語は単語の羅列になりがちだったり、語順がおかしかったりするのだそう。業務には支障がない。
もちろん、どこを目指すかは人それぞれで目標とそれに要する労力のバランス点を各自の基準で見出せば良い。
語学留学したり、学校に通ったり、教材買ったり・・・お金や道具を使う方が楽に身につけられる気がするが、何事も魔法の方法はない。そこにお金と時間をかけるなら学校英語を自習するのが最もコストパフォーマンスが高い。その上で、そのお金はアウトプットの練習の機会を得るために使う方がきっと良い。

学校での勉強は役立つか?

数学や物理が比較的好きだったために未だにふと数学の問題や電車で見かけるシカクいアタマをマルくしてくれる問題(算数限定)は解いてみることがある。数独も数学のルールを使ったパズルではあるけども、一件複雑な問題が視点を変えた途端に、または発想の飛躍を得た途端に、一転して見通しよく解けるようになるというダイナミズムは数独では味わうことが出来ない。
また、同じ問題を特にしても力業で強引に答えを得る方法から、綺麗にとても効率よく解く方法まであり(エレガントな解法と評される)、如何に楽して格好良く綺麗に解くことが出来るかを考えるのもまた楽しい。
数学問題の解答に限らず、料理、マジックをはじめとするパフォーマンス、音楽、映画、絵画などそれらが持つ価値や質をどう受け取るかは受け手のアンテナに依るところが大きい。例えば私は残念ながら将棋とは相性が悪く、優れた頭脳が作った詰め将棋に対しても「難しいなぁ、凄いなぁ」程度の感想しか持てない。その分、ちょっと損をしているのだと思う。数学や物理の入試問題にしてもその道のプロが作ったものであり、幸いそれを楽しいと感じたり構成の巧みさに舌を巻いたり、という感覚はまだ少しは維持されている。
それだけでも、学校の勉強は人生の役に立っていると思う。
直接的に生活が楽になったり金銭を得ているわけではないが、その視点から「こんな勉強しても将来何の役にも立たない」という常套句で勉強を退ける態度に投げる言葉があるとすれば「短絡的な意味で役立つことだけしかしない人生はきっと味気ないものになる」だろう。
何度も解き方を吟味するという意味では、有名なパズルに「12枚のコインの中に重さが違うコインが1枚あり、それを天秤を三回だけ使って探し出す」というのがある。考える際に最初は記号を2つ、例えば○が11個と×が1個、で取りかかりがち、そして途中で混乱を招きがち、だがその考え方から抜け出せると急に考えやすくなることに気付いたときは一人で「そうだよなぁ」と納得していた。

そうは言っても暗記全般は大の苦手で社会科などは「こんな知識将来使わないだろ」と言って勉強を放棄していたわけで、おかげで自分内アンテナは世にある娯楽や刺激の一部にとても感度が低い。

学校の勉強で実生活に直結して役立ってるものと言えばに続く