6/16/2015

学校の勉強で実生活に直結して役立ってるものと言えば

学校での勉強は役立つか? からの続きです

さて、一方で学生の頃にやって実生活に目に見えて役立っているのは英語。お客様の中に外国人がいたとき、興味ある映画、商品の情報を調べるとき、コンピュータやスマートフォンの使い方で躓いたときなど、日本語のみと英語まで範囲を広げた場合では得られる情報量や速度に(必ずしも質ではないけども)圧倒的な差がある。好きな小説や映画が早く手に入れられるなどの目に見えての得もある。一つ一つはささやかであってもその積み重ねは案外大きい。
そしてつくづく自分の英語力の基盤は中学・高校英語で培ったものだと感じる。おそらく知識的には以降、ほとんど上積みされていない。むしろ全体的には減ってる。気になる記事を読んだり情報収集などをたまにしているので、そこから得る知識が少しあり、同時に力の急降下は招かずに済んでいるが、留学経験があるわけでもないし、日常的に英語圏の人と接する環境があったこともないし、あくまでもベースは学校英語と言い切れる。それに、高校英語までで大抵の言いたいことは言えるはず。
が、これを大人になってから1から身につけるのは時間的にも労力的にも相当大変だと思う。ならば、学生時代やらなければいけないときにやって、極力忘れないようにしておくのが効率が良い。一部から批判されることもある学校英語だが基礎から体系的に学ぶ方法として全く間違ってない。
そんなことを常々たまに(<どっちだよ)主張している割に英検もTOEICも受けたことがなく客観的評価を持ってなかったので去年受けてみたことはこちらに書いたが、スコア、もの凄く高いわけではないし、そもそも世間的にこのスコアだったらこれくらい出来る、といわれていることを見て「いや、そんなに出来ないよなぁ」と思う。それだけの伸びしろがあると前向きに考えることにしているが。


でも言えることは特にTOEIC学校に通ったわけでも、頻出単語を集中的にやるなどして最適化をはかったわけでもなく(形式に慣れる練習はした)、高校英語がベースであとは実生活で興味ある対象に触れることでこれくらい。
日本で生活していると学校でも日常生活でもなかなかアウトプットの練習をする場がないのが難点だけども、逆に言えば高校英語までがそれなりに入っていれば、もうあとはアウトプットの練習だけ。一方、それがないまま「とにかく場数が大事」主義に走ってしまうと相手の推測力に依存しつつ自分のあまり高くない力量で上手いこと伝えるテクニックが身についてしまう。
人から聞いたエピソードで、その人は学校の研究室などで海外から留学してくる人と接する機会が多く、同時に別のエリアで海外から日本に働きに来ていて現場で日本語を覚えた人達とも接する機会があるとのこと。曰く、前者の人々は配属当初はほとんど日本語が話せない。でも、そもそも日本に留学してくるということは事前に日本語の勉強も文法から語彙からやっている。すると半年から一年でかなり正確な日本語を話せるようになる。一方後者の人々は事前に日本語の勉強をしたわけでなく、現場で必要な単語、コミュニケーション術を身につけて日々仕事を支障なく行っている人々で、こちらの日本語は単語の羅列になりがちだったり、語順がおかしかったりするのだそう。業務には支障がない。
もちろん、どこを目指すかは人それぞれで目標とそれに要する労力のバランス点を各自の基準で見出せば良い。
語学留学したり、学校に通ったり、教材買ったり・・・お金や道具を使う方が楽に身につけられる気がするが、何事も魔法の方法はない。そこにお金と時間をかけるなら学校英語を自習するのが最もコストパフォーマンスが高い。その上で、そのお金はアウトプットの練習の機会を得るために使う方がきっと良い。

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