12/22/2017

スター・ウォーズ 最後のジェダイの感想1

仲が良かった友人に久しぶりに会ったら「え〜、前はそんな人じゃなかったじゃん!」みたく変わってて、でも、よく見れば面影あるよね、というそんな体験でした。だから今後も仲良くしていけるかどうかはこの再会だけでは何とも言えない。けといきなり付き合いを絶つのではなくて少し自分はどう感じるのか、相手はどこまでが今までの相手でどこからが新たな相手なのか、ちょっと見てみないとね、と。
そもそも三部作の二作目は批判にさらされやすい位置です。バック・トゥ・ザ・フューチャーだって2は3の壮大な予告編と揶揄されたし、今でこそファンの間で高評価の帝国の逆襲だって公開当時の評価は賛否両論でした。何しろ一作目が脳天気な冒険活劇でその続編だからと同じカラーを期待したらいきなりの救いのない展開に未解決の問題を突きつけられたわけです。評価が上がったのは三部作の中でどんな位置にはまるのかが見えてからだったのは致し方ないところ。
EP2の場合は様子がちょっと違ってストーリーはグダグダだったもののジャー・ジャーの陰がすっかり薄くなったこと、そしてラスト近くの空飛ぶR2と今までの多くの人がヨーダって本当に強いの?と感じていた疑問に答えて見せた対決シーン、さらに徐々に帝国軍が知っている形になっていくビジュアルで成立していました。それにこの場合はファンは後に何が起こるかも知っていてすでにEP2の位置がわかっていたのも大きいでしょう。
一方今回のEP8ですが、風呂敷を広げるのは上手いJJによる振り逃げのバトンを渡されたというか、JJによる魅力的な数々の謎を押しつけられてさあどうする? という状況からのスタート。フォースの覚醒のラストシーンだって前代未聞でEP8の開始位置を指定されちゃってるような物ですからね。あれ。今までなら各エピソードの間は三年とかそれ以上の時間が経った後の世界であり、最初の黄色い文字でその間の出来事を説明していたのですが今回は時間が空いてないから説明すべきことなんて本当はほとんどないわけで、そこからしてさあどうするの?状態。他にもセイバーはどこから来たのか、レイの出生の秘密は、スノークって何者か、カイロが言ってるベイダーが成し遂げられなかったこととは、ざっと考えただけでもこれだけあるわけです。あ、ポーグ大丈夫か?ってのもありますね。

長くなってしまったので次回に続きます。

マジックを英語でやってみよう教室構想中

マジックを英語で演じなければならない。ふいにそんなときが訪れます。日本語で演じるときだってセリフと動作が最適のタイミングで連動するよう練習するのに、慣れない言語でやった結果、あとから「もっとああすればよかったかな」などの思いがやってくることもあるでしょう。「英語を今度こそ勉強してみよう」と考えることすらあるかもしれません。
英語でマジックを演じると言ってもどれくらいを目指すかで難易度は当然差が出ます。必要フレーズ丸暗記が楽そうに感じるかもしれませんが、意味づけを伴わない丸暗記は案外負担が高く、長期的に覚えておくのも難しいですし、記憶内で英文のどこかがいつの間にか間違えて変化してしまうこともあり得ます。しかし意味や理屈と関連付いていないとその間違いに気付けません。では、せめて単語だけでどうにか、と思ってもこれまた別の問題が生じ得ます。
たまにマジシャン友達からこういうとき英語で何て言うか? と聞かれることもあり、一度英語でマジックをやることにフォーカスしたレクチャーをやってみようかと常々思っていたのですが解決すべき課題もありなかなか実現しませんでした。で、今度こそどうにかと思ってその辺りの話をしたの動画でしています。そもそも日本において英語でマジックをする必要があるのか? って話なども。

12/21/2017

将魔シルクの紹介ビデオ作成

先日、友人の名古屋のマジシャン、将魔さんのショップである手品屋からリリースされる将魔シルクの紹介ビデオを作りました。
マジックで使用する道具をいくらリアルな方向に振ってもシルクだけが従来のままだと存在が浮いてしまうということがありましたが、このシルクは普通のハンカチに見えるデザインをプリントしてその問題を解決しました。
撮影はマジックバー・サプライズで。今回は私は撮影とムービー作成で、カメラの前で離したり演技したりはないので、画作りに集中できました。カメラ位置決めては「じゃ、将魔さん、準備お願いしま〜す。」、角度変えてもう1テイクというときも「もう一回撮りたいので準備お願いしま〜す。」いや、カメラに集中できるのって素晴らしい。
こういうときのムービーは必要に応じてMotionで文字などの素材部分を作って編集はFCPでというのが多いです。そして素材が揃ったらまずは曲を決めて、ざっくりと素材を並べてみて大まかな流れを見ます。問題なさそうとなったら曲の長さがそれに合うように編集。やはり、曲の終わりとムービーの終わりが合うと気持ち良いですから出来れば曲が余ってしまった分を最後にフェードアウトで処理というのは避けたいところ。
さらに要所要所のカットの切り替わりと曲のリズムを合わせ人の声と曲の音量の微調整。大体そんなところで完成です。が、まれにここまで来たところで変更の必要に気づくことがありそれが尺に影響することだと「5ます戻って一回休み」みたいね目に遭うことがあります。なので、ただ作るだけでなくて、仕事としては後の変更にも効率よく対応できるように作業を進めるのが鉄則。
そんな中で出来上がったビデオがこちらです。
賞品はすでに手品屋のサイトで販売中です。販売ページはこちら

12/09/2017

オリエント急行殺人事件(2017版)を観ました

映画の内容に言及しての感想なので特に現段階でオチを知りたくない方は映画を見るなり本を読むなりしてから再度お立ち寄り下さい。オチを知っている方は今回のケナス・ブラナー版は未見でも読み進めて頂いて問題ないです。

さて、私が最初にシドニー・ルメット版を観たのは中学生の頃のテレビの映画放送枠ででした。当時は推理小説経験が浅く、犯人当てクイズとして接していた面も多分にあったため最後に犯人を知ったときには、もやっと感が残りました(それが原作が世に出た当時には革新的なものだったというのはわかりますが、というか知識として知っていましたが)。試験の選択問題でどうにも正解が導けずに頭をひねった挙げ句に「答えなし」もまた答えであると言われたかのような「え? そうなの?」みたいな感じ。出演者達についてはショーン・コネリーこそ007シリーズで知っていたものの、アンソニー・パーキンスもイングリッド・バーグマンも知らなかったために、映画が本来持っていた豪華さもろくに味わえていませんでした。また、そもそもの動機となった誘拐事件の重さも当時の私にはあまり実感がわかず、ここを理解してなかったことが最後のオチが釈然としなかった原因の一つだと今ならわかります。
ところが最近見返してみると誘拐事件の経緯をスタイリッシュに描くあのオープニングはとても優れていると思えますし、出演者達がそうそうたる顔ぶれであることもわかります。特にイングリッド・バーグマンのオーラの消し方といったら驚きで、これは中学生の私ではカサブランカの人とは気付かないわけです。

さて長くなりましたが、今回のケナス・ブラナー版。ポワロと言えば多くの人にとってはデビッド・スーシェが正解手となっているだろう中で、そもそもケナス・ブラナーをポワロとして見ることが出来るか問題があります。映画冒頭でわざわざポワロらしさを見せるエピソードを挿入したりして、このキャラクターをポワロとして見てくれという約束を迫られているかの如しですが、まあ「ちょっと意識すれば守れる約束」ってところでしょうか。廊下は決して走らない、とかレベル。
随所に美しいシーンあり、トリッキーなカメラの動きありでこれはシーンのほとんどを列車内に押し込めたシドニー・ルメット版とは対照的です。でもそれが映画の中で効果的に機能しているかというと、画的には「おっ」と思わせるのですが、あからさまにあざとくも感じます。うん、この映画を一言で表すならあからさまなあざとさ、かも。冒頭のいかにもポワロらしいシーンとか、わかりやすいセリフによる手がかりの提示とか、そこまでわかりやすくしないといけないの? と感じるところ多々あり。観客の想像力に任せることなくしっかり説明、飽きないように要所要所に派手だったり美しかったり緊迫感のある(しかしこれまたわかりやすい)シーンを入れる。しかし一方でアームストロング家の誘拐事件がいかに悲劇的であったかはいまいち伝わってこない。言葉に還元しすぎたために想像・感情で理解しないといけないことも理屈での理解に替えられてしまった感があり、そしてここが感情的に納得できていないと犯行の動機やポワロの最後の決断が「え? それあり?」なものになってしまいます。

その点、シドニー・ルメットの手法は立ち往生した列車の閉塞感を見せることに成功しているし誘拐事件の悲劇性に支配されている空気も感じられるので最後も納得できるので(但し中学生の私を除く)、そう考えると総合点では私としてはルメット版を上にしたいところです。
興行的にはそこそこの成績を出して続編の制作にも会社は前向きだそうです。今回の映画のラストの展開のその後が現実化するのでしょうが、でも、あれ、原作的には起こってしまった事件を解決するためにナイル川クルーズに参加するのでなくて、一緒に事件を体験する現場にいないと時間順が合わないですよね。どうするんでしょう?