12/09/2017

オリエント急行殺人事件(2017版)を観ました

映画の内容に言及しての感想なので特に現段階でオチを知りたくない方は映画を見るなり本を読むなりしてから再度お立ち寄り下さい。オチを知っている方は今回のケナス・ブラナー版は未見でも読み進めて頂いて問題ないです。

さて、私が最初にシドニー・ルメット版を観たのは中学生の頃のテレビの映画放送枠ででした。当時は推理小説経験が浅く、犯人当てクイズとして接していた面も多分にあったため最後に犯人を知ったときには、もやっと感が残りました(それが原作が世に出た当時には革新的なものだったというのはわかりますが、というか知識として知っていましたが)。試験の選択問題でどうにも正解が導けずに頭をひねった挙げ句に「答えなし」もまた答えであると言われたかのような「え? そうなの?」みたいな感じ。出演者達についてはショーン・コネリーこそ007シリーズで知っていたものの、アンソニー・パーキンスもイングリッド・バーグマンも知らなかったために、映画が本来持っていた豪華さもろくに味わえていませんでした。また、そもそもの動機となった誘拐事件の重さも当時の私にはあまり実感がわかず、ここを理解してなかったことが最後のオチが釈然としなかった原因の一つだと今ならわかります。
ところが最近見返してみると誘拐事件の経緯をスタイリッシュに描くあのオープニングはとても優れていると思えますし、出演者達がそうそうたる顔ぶれであることもわかります。特にイングリッド・バーグマンのオーラの消し方といったら驚きで、これは中学生の私ではカサブランカの人とは気付かないわけです。

さて長くなりましたが、今回のケナス・ブラナー版。ポワロと言えば多くの人にとってはデビッド・スーシェが正解手となっているだろう中で、そもそもケナス・ブラナーをポワロとして見ることが出来るか問題があります。映画冒頭でわざわざポワロらしさを見せるエピソードを挿入したりして、このキャラクターをポワロとして見てくれという約束を迫られているかの如しですが、まあ「ちょっと意識すれば守れる約束」ってところでしょうか。廊下は決して走らない、とかレベル。
随所に美しいシーンあり、トリッキーなカメラの動きありでこれはシーンのほとんどを列車内に押し込めたシドニー・ルメット版とは対照的です。でもそれが映画の中で効果的に機能しているかというと、画的には「おっ」と思わせるのですが、あからさまにあざとくも感じます。うん、この映画を一言で表すならあからさまなあざとさ、かも。冒頭のいかにもポワロらしいシーンとか、わかりやすいセリフによる手がかりの提示とか、そこまでわかりやすくしないといけないの? と感じるところ多々あり。観客の想像力に任せることなくしっかり説明、飽きないように要所要所に派手だったり美しかったり緊迫感のある(しかしこれまたわかりやすい)シーンを入れる。しかし一方でアームストロング家の誘拐事件がいかに悲劇的であったかはいまいち伝わってこない。言葉に還元しすぎたために想像・感情で理解しないといけないことも理屈での理解に替えられてしまった感があり、そしてここが感情的に納得できていないと犯行の動機やポワロの最後の決断が「え? それあり?」なものになってしまいます。

その点、シドニー・ルメットの手法は立ち往生した列車の閉塞感を見せることに成功しているし誘拐事件の悲劇性に支配されている空気も感じられるので最後も納得できるので(但し中学生の私を除く)、そう考えると総合点では私としてはルメット版を上にしたいところです。
興行的にはそこそこの成績を出して続編の制作にも会社は前向きだそうです。今回の映画のラストの展開のその後が現実化するのでしょうが、でも、あれ、原作的には起こってしまった事件を解決するためにナイル川クルーズに参加するのでなくて、一緒に事件を体験する現場にいないと時間順が合わないですよね。どうするんでしょう?

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