6/29/2014

人生初のTOEIC受験(続TOEICについて思うことの巻)

前回からの続きです。
まだ、今回のスコアが出るのは少し先ですが、では思ったより高いスコアが出たとしたら、ん〜、でもあのあたりは文を理解せずに括弧の前後見て解いただけだしなぁ、と、実際は実力はそこまでないよなぁ感を抱くと思うんですが、他人ごととして客観的に考えると私の知る範囲の知人で受験したことある人のスコアはそれぞれの人がそれぞれ妥当なレンジに収まっている気もしますし、英語力が変わらなければ何度受けても大体同じようなスコアになるとも聞きます。



発音やスピーキングのテストはありませんから、このあたりは音が聞けると言うことはその音を発することもそこそこ出来るだろうとか、リスニングやリーディングがここまで出来ると言うことはスピーキングもそれなりに出来るだろうとか、間接的な推測をするしかない領域で、実際、外国人を前にしての会話にさほどストレスがなくてもスコアはあまり高くないとか、その逆とかそんな例もあるだろうと思います。

でも、それでも英語の下地というか英語力というかは割と正確に評価されるのではないかなと思いました。だからスコアの割に実践の会話の場では上手に聞けない・話せないとか、一読しただけでは英文の内容が頭に入ってこないとか自分なりの不満足点を抱えている人も、それはもうスコアなりの下地はあると。あとはその力をどう実践の場で使えるようにするかというリアルタイム処理のプロセスに慣れていないだけなので、そこに適した練習をすれば飛躍的に実践力が着くのではないかと思います。

逆に言うと実際のコミュニケーションの場ではストレスないし、英文も一読で頭に入ってくるのにスコアが不本意に悪いと感じる場合は、それきっと、「コミュニケーションの場でストレス感じてないのはおめーだけで、相手はストレス感じまくり、言いたいことをくみ取ろうと必死で頑張っとるんじゃ!」とか、「それ、文章全部は読めてなくて一部から全体を想像する壮大な想像力の産物。発掘された数片の土器のパーツから全体を復元してくれるあれと一緒?」みたいなことになってるんじゃないでしょうか。

ですからTOEICは自分の課題とか現状を知るのには割と良いツールだと思います。まぁ、そうは言っても何しろ一回受けただけ、TOEIC初心者の私の言うことですしスコアもまだですから7月下旬以降で急に私がTOEICの話をしなくなったり否定派にまわった際には察してやって下さい。

人生初のTOEIC受験(TOEICについて思うことの巻)

TOEICの試験の準備をして試験を受け、では自分の中でTOEICをどう捉えるかというのが今回の話。ひとまずここでTOEIC話は一区切りとします。

趣味のありようの1つとして手段自体の目的化というのがあります。例えば速いコンピューターはもともとは仕事の効率のためや快適なゲーム環境のために欲しかったもので、そこから自作の道にはまり次第にベンチマークスコアに一喜一憂。速いコンピューターを組むことが目的化。他にもそんな例は色々あると思います。ですからTOEICで英語レベルを測ることがもともとの目的でも次第にスコアアップに特化した勉強を積みハイスコアを出すことが目的となる、つまりTOEICが一種の趣味となるパターンもあって良いと思います。

でも、私にとってのTOEICはやはり物差しです。自分の英語力を伸ばした結果、スコアがそれに応じて付いてくるという順序。自分の反射神経を測るためにモグラ叩きゲーム(そういえば、最近見ないね)をやってみる、と。それは良いのですが、じゃぁ、モグラ叩きゲームで好成績を出すためにモグラの出る順番やパターンを覚えてしまい、それで好成績が出たからと言ってそれは反射神経が向上したとは言い難いわけです。でもモグラが3匹同時に出てくることがあることを知り、その場合はどう体を使ってどの順で叩くと良いかを事前に練習しておく、くらいは反射神経の範疇と考えて良いのかな、と思います。まぁ、これが拡張されると最初からの出現パターン丸暗記になるわけでどこに境界線を引くかは個人の判断となりますが、TOEICに関して言えばリスニング時の先読みとか、PART5で品詞で正解を導く程度は「あり」の範囲に入れました。

一方、TOEICに出やすい単語から優先的に覚える勉強とか、あとよく言われていることですが過去の問題の使い回しに近いものがたまに出るので過去問に慣れていると回答しやすいらしいですし(私は一回しか受けてないので真偽はわかりませんが)、それにリスニングのキャスト達は固定されているのでその人の声と話し方に慣れていると本番でも聞きやすい、なんてところは、私にとっては境界線の向こう側。

ところでTOECの問題を問題集で見たときの第一印象は「それほど難しくない」でした。勿論全部理解できるわけではないですが、もっと難しい文章を想像していたところ、実際は長文であっても内容はメールの返信とか、商品をオーダーしたときの返信とか、何かのイベントの広告とか、日常生活で目にしそうなレベルです。うっかり自分を誤解してしまい、あれ?英語力いつの間にか上がってる? と思って自分が卒業した大学の入試問題を覗いてみたらこれが全く歯が立たない。何で大学に入れたんだろう?

で、TOEIC、個々はそこまで難しくないのに何故解ききれないかというと量が大量だからですが、「そりゃ、おめ〜の読むスピードが小学生よりおっそいからじゃ〜!」という声が聞こえてくるわけで、ということはそこそこ教養のあるネイティブが受ければ950前後は取れるという話は、まぁ、本当なんでしょうね。英文の内容自体はそんなに込み入ってないし難しくないですから。今回でこのテーマは終わらせようと思ったら思いの外、長くなりましたので続きは次回へ。

6/25/2014

人生初のTOEIC受験(当日の巻)

前日までの練習で何とか時間内に解き切れましたが(一回だけ)、懸案事項は2つあって1つは勿論時間のこと、もう一つは集中力。どうしても1、2回は解答中に「もうどうでもいいや」という気分の兆候がやって来るんです。120分、延々と英語のテストを受けるなんてやったことない、というか120分のテストってどんな分野であっても受けたことなかったのではないかと思います。


当日はテストを受けることからの久々のこの種の緊張感を味わってまして、こんなのもたまには悪くないななどと考えましたが、これは、まぁ、このテストに人生が1パーセントもかかってないから脳天気に言えるという点はあると思います。受付を済ませて席に着き、ふと前を見ると昔むか〜しに見たようなラジカセが置いてあり、不安に襲われました。リスニングにおける音質と音の聴き方って割と重要で、やはりクリアな音で聞く方が耳に入って来やすいのです。また、集中力が持続しているうちはスピーカーからの音を聞くのもイヤフォンやヘッドフォンで聞くのもあまり差がありませんが、集中力が少し落ちたときでもイヤフォンやヘッドフォンで聞いていると耳に音を強制的に流し込んでくれるので言っていることが理解しやすいです。この点、リスニングのトレーニングをポータブルプレーヤーでしている人は注意が必要な点かもしれません。今回は前から二列目の席だったのでラジカセまでの距離は近い方でしたが、大きな教室の後方の席でラジカセからの音を聞くのはさらに集中力が必要でしょう。一瞬だけ、家で聞くときもスピーカーで再生して少しリバーブをかけて明瞭さを下げてのトレーニングをしておけば良かったかもと思いました。でも、思っただけできっとこれからもそんなことはしないと思います。だって面倒だから。

で、試験開始。PART1は1つ、全く知らない単語のオンパレードだった問題があり、まぁこういうのは考えたところでわかるわけがないですから悩まずに適当に選ぶしかないですね。本番で重要なのはとにかく悩まないこと、時間を無駄にかけないこと、終わったことを引きずらないこと。これが出来ないとどんどん問題に置いて行かれます。・・・とは思うもののPART3で先読みのリズムが崩れ、立て直すまでに練習時以上に時間がかかりかなり落としました。練習時なら今取りかかっているところをあっさり捨ててさっさと次に進めたと思うんですけどね。それなら失っても最大3問です。今回は「もう少し考えよう」という意識に引っ張られ過ぎました。

そんなこんなでリスニングの45分が終わり、続いてリーディングの75分へ。リスニング中にリーディングパートの問題を読むのは禁止なのですが、リスニングの最後の問題をマークし終わったあたりで周囲からページをめくる音が。「ん〜、これくらいは良いのかなぁ」などと迷いつつもリスニングに進むよう指示があるまで待ってました。ここで進んでしまえば数十秒の得がありますね。PART5は時間貯金を作るよう、正解が見えたら不正解の検証はしないと決めてましたが、ついね、色々見てしまう。「練習時より丁寧に考えてんじゃないの?」などと自問自答しつつ進んで行きました。

解答用紙が残り3列、つまりあと30問というところで時計を見るとあと30分。「あれ?間に合うかも」脳がオーバークロックされてたんでしょうかね?割と色々な箇所を丁寧に読み込んでしまった気がしてたのですが、これなら1列を10分で解けば間に合う計算です。つまり1問に1分。集中力も続いています。そのまま淡々と解いていき終わったところで時計を見ると2分前。さすがに見直す気力はなく、夕食は何を食べようかとか今回のことをブログにどうまとめるかとかそんなことを考えながら終了を待っていたのでした。

で、結局TOEICを受けてみてどうだったかと言う話はまた次回に書かせていただきます。

6/23/2014

人生初のTOEIC受験(準備の巻)

前回、何故受けようと思うに至ったかは書きました。問題集も買いました。これで準備完了・・・と思ったら、それよりも何よりも、もう20年くらい試験というものを受けたことがないのでシャーペンと消しゴムが私の家にはないのでした。今はマークシート用のシャーペンが売られていると教えてもらい、それを購入。これで準備完了・・・と思ったら試験会場ではスマートフォンを机の上に置いてはいけないとのこと。まぁ、それはそうですね。単語調べたり外部と連絡取ったり出来てしまいますから。ということは時間をチェックするには腕時計が必要なのですが普段、腕時計を付けない私が引き出しの中の腕時計を見てみると三つとも止まっていました。なので今度は腕時計のバッテリー交換。これで準備完了。今度こそ完了。



さて、ここに来て頭をふとよぎったのが、「あれ? リスニングで流れる英語ってどこの英語?」という件。普段は観る映画にしても旅行先にしてもアメリカ英語を聞く機会が圧倒的に多いわけですが、もしかしてリスニングはイギリス英語? ここで、マークシート用シャーペンの存在を教えてくれた、英語をお仕事にもされている知り合いに聞いてみるとなんとアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアの英語が均等に出てくるとのこと。オーストラリアまで? 衝撃を受けつつ同じ文章をイギリス英語とアメリカ英語の両方で聞いてみるためにこんなサイトを覗いてみると、イギリス英語が笑うほど聞き取れない。自分の耳の英語対応力が十年以上戻ったかのようです。とは言ってもたった数週間で劇的にイギリス英語耳やオーストラリア英語耳がやしなわれるわけでもないのでここはどうしようもないと早々に思いました。

さて、気を取り直して問題集を解いてみると120分で200問、と言ってもリスニングの45分は流れる音声に合わせて解くので、ここは遅くも早くもならず、75分でリーディングの100問を解くわけですが、なんと30問も解き残しました。殊更、急いだわけでもないけど、そんなに意識して時間をかけたわけでもなくナチュラルなペースで解いたらまったく時間が足りない。もう少し急がないといけないと思って考えたのですが、PART5の括弧埋め問題で出来るだけ時間の貯金を作らないといけない、そのためには文章全体を読まなくても解ける問題は読まずに埋める。具体的には例えば括弧を無視して読んでも文章に破綻がないならそこには副詞が入るから意味なんかわからなくても選択肢に副詞が一つしかなければそれを入れるとか、bothがあったらandを探し、eitherがあればorを探すとか・・・。もうこうなってくると英語の実力を測るテストと言うより英語のルールを使った答え早探し競争じゃないの?と思わなくもないのですが、ではTOEICのスコアが英語力を反映しないかというと、それはそれで機能していると思います。が、これはまた機を改めて。

まぁ、あまり「TOEIC対策」的なことを駆使してテストを受けるのは、自分の英語力を客観的に評価したいという本来の趣旨から外れることにもなってしまいますが、しかし受けるからには欲も出てくるわけで以下の事は、それらを出来るかどうかも英語力のうちと割り切って実行することにしました。

まず、リスニングとリーディングともに正解と思われる選択肢を発見したら、残りが確かに間違っていることは検証しない。検証してしまうと時間のロスになります。リスニングは容赦なく次の設問がやってきますし、リーディングはそもそも時間が現状足りていないのだから極力時間短縮を目指す。

さらにリスニングのPART3とPART4では先読みを行う。これは音声が流れてくる前に設問と選択肢に目を通し、何を聞かれるのかを予め頭に入れた上で音声を聞くことで聞き取るポイントを絞ることが出来ます。さらに可能であれば展開されるであろうストーリーを何となくでも予測しておく。そして、音声が流れてきたら答えがわかった順に次々とマークしていき、その音声に関する設問が流れている間に次の問題の先読みを行う。

それと、上に書きましたがPART5では時間貯金を作るために機械的にわかるものは文意を取らずに括弧を埋め、出来るだけ早く抜ける。

テストの一週間前、というかそれ以前はマジックバー・サプライズの温泉ツアーとか、その準備とか、動画の制作とか色々あってTOEICの練習(英語の勉強と言うよりは練習です)に時間を割けなかったのですが、最後の一週間は問題集を使ってこの練習をしました。結局、最初は30問解き残しましたが、その後4セット行った練習のうち最初の2回は10問前後の解き残し、続いて1分超過、最後に1分余り、となり、現状の自分のレベルだともうこんなもんだろうなぁ、とそれ以上必死で頑張ることもせず、ゆる~く納得して当日を迎えました。

6/22/2014

人生初のTOEIC受験(動機の巻)

生まれて初めてTOEICを受けてきました。もう十年以上前から自分の英語力の客観的な評価を測る何かを受けたいと思っていたのですが気付いたら十年以上があっという間に過ぎていたのでここらでひとつ、とやっと受けてみたというわけです。



周囲からは「秋元さんは英語が出来る」と思われているようですがそれは全くの誤解で、何でしょうね? 頻繁に海外に行っているように見えるからってのもあるでしょうし、Facebookにたまにごくごく短い英文を書いているからってのもあるでしょうし(その英文だって高校レベルの文法を間違えてあとでこっそり直していることも少なくないのです)、でも、私が英語でコミュニケーションするためにあたふたしている姿はおろか、上に書いたような断片すら見たことない人からも得意でしょと言われることがあり、もうイメージ戦略の賜物としか言いようがありません。いや、なにも戦略練ってないです。単なる誤解だから。

どんな分野もそうですが、そこに足を踏み入れていない人から見ると少し出来る人と、もの凄くできる人の差がわからなかったりして、少しでも出来る人は得意な人と見てしまいがちというのはありますね。私、何度トライしても将棋は全くダメでして、だから級を持っている人と段を持っている人の強さの差は実感としてはわからないし、私から見れば両者とも圧倒的に強いし、将棋が得意な人というカテゴリーに入ってしまいます。小学校三年生から見たら、中学数学をすいすい解く人も、大学入試レベルの数学をすいすい解く人も、大学で数学を専門に研究している人も数学が得意に見えるに違いありません。

そしてそれらの分野に足を踏み入れ、自分も勉強したり練習したりしてみると道のりの長さ、奥の深さを実感出来、自分はまだまだだなぁ、と思うようになるわけです。で、スター・ウォーズを字幕なしで理解できたらいいなぁとか、海外のマジシャンとコミュニケーションが出来たらいいなぁとか、海外のサイトで知りたい情報をさほどストレスなく調べられるといいなぁと思って英語の勉強を始めた身としては自分の「まだまだ感」を未だに日々痛切に感じているわけです。
あれですよ、良く言う、英語を勉強しているとある日突然、今までが嘘のように人が話している英語がすっと耳に入ってくるという瞬間、あれが未だに私には訪れてこないほどですからまだまだです。そのうち来るのかなぁ。

で、自分の英語力の客観的評価を得、周囲の誤解を解き、もしあまり高くないスコアなら「ね、周りはそう思っていてもTOEICスコアこんなもんですよ」と言えるし、思っていたより高かったら「でも、実際話せるかというとこんなもんなんですよねぇ」と言えるし、まぁ、どちらに転んでも良いかなと思ってました。

目的が自分の現在の力を測ることですから、わざわざ勉強はしないでそのまま受ければいいか、くらいに思っていたのですが、人から少しは勉強した方が良いと言われたり、せめて問題の傾向とか、マークシートの用紙の大きさとか、番号の並ぶ方向くらいは知っていないと余計なところにリソースを食われて実力すら出せないのではと不安になったりで、問題集を買ってみたのがすでに試験一ヶ月前を切った頃です。で、これを時間を計って解いてみたらさらに慌てることになるのですがそれはまた次回へ。