12/20/2016

ローグ・ワンのネタバレあり感想 再撮影の件とか作曲家交代の件とか

まずは初日に近所の映画館で、続いて別の日に品川でIMAXを観ました。ここ、品川のIMAXはかつてIMAXがフィルム上映だった頃に出来たシアターで、後に一度IMAX上映をやめていたのですが再復活させた劇場です。なので昨今のシネコンに後付けでシステムを入れてIMAX化したところと違い、そのスクリーンの大きさは圧倒的です(私の経験内のIMAXシアター比)。折角観るならここだろう、と。


ファンにはお馴染みのオープニングクロールがなく、ジョン・ウィリアムズの音楽もなく、スカイウォーカーの名前のない、無い無い尽くしのスター・ウォーズです。そんな映画はスター・ウォーズとして受け入れられるのか?というのが最初に制作のニュースを聞いた時に感じたことだったのですが、予告編を観た時にまず少し安心。エピソード4に直結する話だけあって基地のセットや帝国軍の施設の内装が懐かしく作られていました。音楽がジョン・ウィリアムズからマイケル・ジアッキーノに変わったことは、不安ではあるものの、今後もスター・ウォーズ・ムービーが作られることを考えるとどこかで誰かに引き継いでおかないといけないだろうとも思っていたので、この作品で他の作曲家を起用するのはありだと思ってました。また、マイケル・ジアッキーノと言えば、ジュラシック・ワールドで音楽を担当し、ジョン・ウィリアムズのジュラシック・パークの音楽を見事にアレンジして提供した人であり、人選としてはなかなか良いな、と。ところがですよ、今回の音楽はイマイチ感満載。音楽がシーンの雰囲気は盛り上げるけども特に印象に残らず脇役に徹する感じなんです。今までのスター・ウォーズの音楽は各キャラクターにテーマ曲を与え、シーンによってそのバリエーションを展開するようなオペラ的手法で音楽の自己主張度はかなり高いものでしたが、今回はそうではないのです。いや、もしかしたらテーマ曲を与えられたキャラクターがいるかもですが印象に全く残ってないのです。これ何回か映画を観た後で曲だけ聴いてもシーンもキャラも浮かんでこないのではないかと思います。
但し、この辺を読むと分かりますがマイケル・ジアッキーノに話が来たのが映画公開のなんと3ヶ月前、作曲作業に与えられた期間が4週間半、普通は作曲に2、3ヶ月かけるとのことなので、いかにこの時間が短かったことか。なぜそんな突貫工事になってしまったかというと、この記事によると例の再撮影(後述)によって、もともと予定されていた作曲家のAlexandre Desplatが携われなくなってしまったためのようです。さらに詳しく知りたい方は本人のインタビューをどうぞ。ビジュアルエフェクトの作業が遅れてたら公開日を遅らせることも考えたのだろうなと思うと、音楽が軽視されているようでもやっと感があります。

さて、以下はネタバレありで感想です。
映画未見の方はまた観た後でお越しください。(少し改行します)










この映画はヒーローがいて、フォースの使い手がいて、正義と秩序のために格好良く戦い、勝利を収める冒険談の裏には、その他大勢の人達の頑張りと犠牲があるよっていう話です。反乱軍も決して綺麗な仕事だけしているわけでないし、帝国軍なんか完全なブラック企業。しかも失敗すれば殺されちゃうことだってありえるわけで、そりゃ、早く出世して死のリスクを低くしたいのも分かります。特にクレニックには同情することしきり。上司から無理な案件を押し付けられ、頑張って成果をあげても手柄は上司のもの、何かあったら責任は自分へ、しかも出向く先々でトラブルに見舞われるとあっては生きた心地がしないことでしょう。
ここにはいつもの見慣れたスター・ウォーズはないのですが、あちらの華々しい世界と地続きの世界としてこんな世界もあるよね、と十分に納得させるものがあり、その縁の下の力持ちを描いたことで今までのメインの話にも深さを与えることに成功しています。登場人物たちはあちらに住んでいるヒーロー達と違って普通の人達ですから、例えばフォースを信じているチアルートはどんなに信じていてもフォースが使えるわけではなく、勿論、武術には長けているので滅茶苦茶強いのですが、やはりフォースは守ってくれないし、目が見えない彼は最後、スイッチはフォースでなく手探りで探すしかない。この辺りの哀しさが良いのです。さらにヒーロー達とは違いますからラッキーな偶然により危険が回避されたりもせず、最後は全員死にます。はい、大事なところなのでもう一度言いますが、全員死にます。
これ、話の構造としてはこうするしかないと思います。生き残ってしまったら既存のエピソード4とかそれ以降で彼らが出てこないのはおかしなことになります。最後の方のスターデストロイヤー通せんぼも同じ理由ですよね。生き残っては辻褄が合わない宇宙船や戦闘機があるわけです。そして最後のこの映画の最大の見せ場であるベイダーの大活躍。こんな風に物語的には救いようのない悲惨さがあるからこそデス・スターの設計図が最後の希望であるということがより強調され、今後エピソード4を観るときにこの勝利の後ろには多大な犠牲があると思えるわけです。

これは確定情報ではないのですが、この映画、最初に編集されたバージョンは今のよりさらにダークだったらしく再撮影をスタジオから言い渡され、その際、クレジットなしで本作の脚本にも参加していたトニー・ギルロイが再撮影や編集を中心となって助けたというのが定説です。監督のギャレス・エドワーズ自身のコメントとして上の話を否定するような、元々予定していたフレキシブルな撮影スタイルのせいで想像以上に編集に手間がかかったものの、ディズニーは製作中の作品の出来に満足してくれ、さらなる協力を申し出てくれたため、作品精度を上げるために追加撮影を行った、というのがありますが何だか噂の火消し感も感じられる気がします。
さらにこの再撮影が上にも書いた作曲時間の不足も招きました。これは本当に大きな問題で、最後の空中戦なんかもビジュアルは完全に往年のスター・ウォーズを再現しているんです。でも何かが足りない。いや、何が足りないかはわかってるんですが。音楽ね。音楽。
再撮影に関して考えると、いや、これほどまでに予告編で観た画が本編で観られない映画も珍しい。映画のキーとして宣伝されてたセリフやシーンがことごとくありません。帝国軍の施設内と思われるジンのこの画、凄い好きだったんですが本編で観られません。


さらにこのシーン、手に例のハードディスクの大きいのみたいなのをジンが持ってますよね。しかもK-2SOも一緒に走ってる。死んでない。


そしてさらにこのシーン。ビーチを走っていますが手にはやっぱり例のブツ。このシーンを予告編でよく観るとやっぱりあの人もいる気がします。


こっちのバージョンだと彼らにはどんな運命、いや、死に方が待ってたんでしょうね。まあ、死なないかもしれませんが。でも再撮影を命じられたくらいなのでこっちはもっと悲惨だったのだろうと思います。

最後にもういくつかの点に触れておきます。K-2SOのセリフはちょっとブラックだったりするのですがなかなか笑わせるものが多く、彼がいなかったらもっと映画がダークなものになってたと思います。割と彼のキャラクターは好みでした。それとこの映画が大局的には上に書いたようにメインのエピソードに深さを与えたわけですが、より具体的かつピンポイントな功績としては40年来のスター・ウォーズの穴であった、なぜ、帝国軍が誇る最強兵器デス・スターがあんなプロトン魚雷で壊滅してしまったのか案件に答えを与えています。あ〜、なるほど、そうなのね、と。そうそう、あと、ルークがエピソード4でレッド5であったのはここで空きができたからかと、わかるシーンもあります。これなんか「あ、そんなとこまで面倒見てくれるんですか!」と、期待してなかったのに手土産までもらってしまった気分。
何人かのキャラが役者にCGI重ねてエピソード4から復活出演していますが、まあそれはさらっと飛ばして、驚いたのはレッドリーダーとゴールドリーダーの二人。どう見ても本人だよな、と。それもそのはず。本人たちです。ある日、偶然監督のエドワーズがスカイウォーカー・ランチでリサーチしていたら偶然、フィルムの缶を発見し中身を尋ねたらスター・ウォーズの未使用テイク。デジタル化されていないのでここずっと誰も中身を見ていないとのことでそれを使用しての今回の再登場となりました。この件についてはこちらを。

難産であったろうことは想像に難くないローグ・ワンですが、例えば、同じようにファンの期待という重圧があったエピソード7には、今までの設定の縛りはあっても先の展開にはそれなりの自由度がありました。一方でローグ・ワンは同じくファンの期待に応えなくてはいけない上に、話の前後共にがっちりと固められ、さらに最後の展開はすでにみんなが知っているという条件下で映画として成立させるという命題を達成しただけでなく、既存のエピソードにもさらなる深さを与えるという離れ業を見事やってのけたと言えるでしょう。