6/16/2015

学校での勉強は役立つか?

数学や物理が比較的好きだったために未だにふと数学の問題や電車で見かけるシカクいアタマをマルくしてくれる問題(算数限定)は解いてみることがある。数独も数学のルールを使ったパズルではあるけども、一件複雑な問題が視点を変えた途端に、または発想の飛躍を得た途端に、一転して見通しよく解けるようになるというダイナミズムは数独では味わうことが出来ない。
また、同じ問題を特にしても力業で強引に答えを得る方法から、綺麗にとても効率よく解く方法まであり(エレガントな解法と評される)、如何に楽して格好良く綺麗に解くことが出来るかを考えるのもまた楽しい。
数学問題の解答に限らず、料理、マジックをはじめとするパフォーマンス、音楽、映画、絵画などそれらが持つ価値や質をどう受け取るかは受け手のアンテナに依るところが大きい。例えば私は残念ながら将棋とは相性が悪く、優れた頭脳が作った詰め将棋に対しても「難しいなぁ、凄いなぁ」程度の感想しか持てない。その分、ちょっと損をしているのだと思う。数学や物理の入試問題にしてもその道のプロが作ったものであり、幸いそれを楽しいと感じたり構成の巧みさに舌を巻いたり、という感覚はまだ少しは維持されている。
それだけでも、学校の勉強は人生の役に立っていると思う。
直接的に生活が楽になったり金銭を得ているわけではないが、その視点から「こんな勉強しても将来何の役にも立たない」という常套句で勉強を退ける態度に投げる言葉があるとすれば「短絡的な意味で役立つことだけしかしない人生はきっと味気ないものになる」だろう。
何度も解き方を吟味するという意味では、有名なパズルに「12枚のコインの中に重さが違うコインが1枚あり、それを天秤を三回だけ使って探し出す」というのがある。考える際に最初は記号を2つ、例えば○が11個と×が1個、で取りかかりがち、そして途中で混乱を招きがち、だがその考え方から抜け出せると急に考えやすくなることに気付いたときは一人で「そうだよなぁ」と納得していた。

そうは言っても暗記全般は大の苦手で社会科などは「こんな知識将来使わないだろ」と言って勉強を放棄していたわけで、おかげで自分内アンテナは世にある娯楽や刺激の一部にとても感度が低い。

学校の勉強で実生活に直結して役立ってるものと言えばに続く

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