6/23/2014

人生初のTOEIC受験(準備の巻)

前回、何故受けようと思うに至ったかは書きました。問題集も買いました。これで準備完了・・・と思ったら、それよりも何よりも、もう20年くらい試験というものを受けたことがないのでシャーペンと消しゴムが私の家にはないのでした。今はマークシート用のシャーペンが売られていると教えてもらい、それを購入。これで準備完了・・・と思ったら試験会場ではスマートフォンを机の上に置いてはいけないとのこと。まぁ、それはそうですね。単語調べたり外部と連絡取ったり出来てしまいますから。ということは時間をチェックするには腕時計が必要なのですが普段、腕時計を付けない私が引き出しの中の腕時計を見てみると三つとも止まっていました。なので今度は腕時計のバッテリー交換。これで準備完了。今度こそ完了。



さて、ここに来て頭をふとよぎったのが、「あれ? リスニングで流れる英語ってどこの英語?」という件。普段は観る映画にしても旅行先にしてもアメリカ英語を聞く機会が圧倒的に多いわけですが、もしかしてリスニングはイギリス英語? ここで、マークシート用シャーペンの存在を教えてくれた、英語をお仕事にもされている知り合いに聞いてみるとなんとアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアの英語が均等に出てくるとのこと。オーストラリアまで? 衝撃を受けつつ同じ文章をイギリス英語とアメリカ英語の両方で聞いてみるためにこんなサイトを覗いてみると、イギリス英語が笑うほど聞き取れない。自分の耳の英語対応力が十年以上戻ったかのようです。とは言ってもたった数週間で劇的にイギリス英語耳やオーストラリア英語耳がやしなわれるわけでもないのでここはどうしようもないと早々に思いました。

さて、気を取り直して問題集を解いてみると120分で200問、と言ってもリスニングの45分は流れる音声に合わせて解くので、ここは遅くも早くもならず、75分でリーディングの100問を解くわけですが、なんと30問も解き残しました。殊更、急いだわけでもないけど、そんなに意識して時間をかけたわけでもなくナチュラルなペースで解いたらまったく時間が足りない。もう少し急がないといけないと思って考えたのですが、PART5の括弧埋め問題で出来るだけ時間の貯金を作らないといけない、そのためには文章全体を読まなくても解ける問題は読まずに埋める。具体的には例えば括弧を無視して読んでも文章に破綻がないならそこには副詞が入るから意味なんかわからなくても選択肢に副詞が一つしかなければそれを入れるとか、bothがあったらandを探し、eitherがあればorを探すとか・・・。もうこうなってくると英語の実力を測るテストと言うより英語のルールを使った答え早探し競争じゃないの?と思わなくもないのですが、ではTOEICのスコアが英語力を反映しないかというと、それはそれで機能していると思います。が、これはまた機を改めて。

まぁ、あまり「TOEIC対策」的なことを駆使してテストを受けるのは、自分の英語力を客観的に評価したいという本来の趣旨から外れることにもなってしまいますが、しかし受けるからには欲も出てくるわけで以下の事は、それらを出来るかどうかも英語力のうちと割り切って実行することにしました。

まず、リスニングとリーディングともに正解と思われる選択肢を発見したら、残りが確かに間違っていることは検証しない。検証してしまうと時間のロスになります。リスニングは容赦なく次の設問がやってきますし、リーディングはそもそも時間が現状足りていないのだから極力時間短縮を目指す。

さらにリスニングのPART3とPART4では先読みを行う。これは音声が流れてくる前に設問と選択肢に目を通し、何を聞かれるのかを予め頭に入れた上で音声を聞くことで聞き取るポイントを絞ることが出来ます。さらに可能であれば展開されるであろうストーリーを何となくでも予測しておく。そして、音声が流れてきたら答えがわかった順に次々とマークしていき、その音声に関する設問が流れている間に次の問題の先読みを行う。

それと、上に書きましたがPART5では時間貯金を作るために機械的にわかるものは文意を取らずに括弧を埋め、出来るだけ早く抜ける。

テストの一週間前、というかそれ以前はマジックバー・サプライズの温泉ツアーとか、その準備とか、動画の制作とか色々あってTOEICの練習(英語の勉強と言うよりは練習です)に時間を割けなかったのですが、最後の一週間は問題集を使ってこの練習をしました。結局、最初は30問解き残しましたが、その後4セット行った練習のうち最初の2回は10問前後の解き残し、続いて1分超過、最後に1分余り、となり、現状の自分のレベルだともうこんなもんだろうなぁ、とそれ以上必死で頑張ることもせず、ゆる~く納得して当日を迎えました。

6/22/2014

人生初のTOEIC受験(動機の巻)

生まれて初めてTOEICを受けてきました。もう十年以上前から自分の英語力の客観的な評価を測る何かを受けたいと思っていたのですが気付いたら十年以上があっという間に過ぎていたのでここらでひとつ、とやっと受けてみたというわけです。



周囲からは「秋元さんは英語が出来る」と思われているようですがそれは全くの誤解で、何でしょうね? 頻繁に海外に行っているように見えるからってのもあるでしょうし、Facebookにたまにごくごく短い英文を書いているからってのもあるでしょうし(その英文だって高校レベルの文法を間違えてあとでこっそり直していることも少なくないのです)、でも、私が英語でコミュニケーションするためにあたふたしている姿はおろか、上に書いたような断片すら見たことない人からも得意でしょと言われることがあり、もうイメージ戦略の賜物としか言いようがありません。いや、なにも戦略練ってないです。単なる誤解だから。

どんな分野もそうですが、そこに足を踏み入れていない人から見ると少し出来る人と、もの凄くできる人の差がわからなかったりして、少しでも出来る人は得意な人と見てしまいがちというのはありますね。私、何度トライしても将棋は全くダメでして、だから級を持っている人と段を持っている人の強さの差は実感としてはわからないし、私から見れば両者とも圧倒的に強いし、将棋が得意な人というカテゴリーに入ってしまいます。小学校三年生から見たら、中学数学をすいすい解く人も、大学入試レベルの数学をすいすい解く人も、大学で数学を専門に研究している人も数学が得意に見えるに違いありません。

そしてそれらの分野に足を踏み入れ、自分も勉強したり練習したりしてみると道のりの長さ、奥の深さを実感出来、自分はまだまだだなぁ、と思うようになるわけです。で、スター・ウォーズを字幕なしで理解できたらいいなぁとか、海外のマジシャンとコミュニケーションが出来たらいいなぁとか、海外のサイトで知りたい情報をさほどストレスなく調べられるといいなぁと思って英語の勉強を始めた身としては自分の「まだまだ感」を未だに日々痛切に感じているわけです。
あれですよ、良く言う、英語を勉強しているとある日突然、今までが嘘のように人が話している英語がすっと耳に入ってくるという瞬間、あれが未だに私には訪れてこないほどですからまだまだです。そのうち来るのかなぁ。

で、自分の英語力の客観的評価を得、周囲の誤解を解き、もしあまり高くないスコアなら「ね、周りはそう思っていてもTOEICスコアこんなもんですよ」と言えるし、思っていたより高かったら「でも、実際話せるかというとこんなもんなんですよねぇ」と言えるし、まぁ、どちらに転んでも良いかなと思ってました。

目的が自分の現在の力を測ることですから、わざわざ勉強はしないでそのまま受ければいいか、くらいに思っていたのですが、人から少しは勉強した方が良いと言われたり、せめて問題の傾向とか、マークシートの用紙の大きさとか、番号の並ぶ方向くらいは知っていないと余計なところにリソースを食われて実力すら出せないのではと不安になったりで、問題集を買ってみたのがすでに試験一ヶ月前を切った頃です。で、これを時間を計って解いてみたらさらに慌てることになるのですがそれはまた次回へ。

5/20/2014

友達とひたすら雑談ムービー

これから不定期的に私が知人マジシャンや知人非マジシャンの方々、要するに友達と単に雑談する様をビデオに撮ってアップしようと考えまして、その第一弾です。雑談なので深いテーマがあるわけでもなく、見終わると何かが得られるとかそんなのもありません。ネット上のスペースとかネットワークの帯域の無駄遣いという気もしますが、マジシャン達がショーやイベントの紹介でビデオに映ったり演技している姿をアップしたりという公の顔を見せるビデオは多数ありますが、中にはこんな素に近いにもあっても良いかな、と。まぁ、それより何より、私自身がアップした動画を見返して「あ〜、こう人達と付き合いがあったのだなぁ」といずれ思い返す日も来ようかと。
第一回はよしろうさん。よしろうさんは私が出演させていただいている神奈川県大和市のマジックバー・Lagoonのオーナーでありマジシャンです。もう二十年近くの付き合いになるんでしょうか? 年数はよく把握していませんが。
出来るだけ話をそのまま出そうと思ってますので基本、カット編集なしで今後もやっていきます。そういうコンセプトなのであって決して手抜きではありませんので勘ぐらぬようお願いいたします。
本当は10分程度で納めるつもりだったのですが初回にしてすでにうっかり話し過ぎてしまったのでファイルを二つに割ってあります。


5/13/2014

デジタルガジェットの転ばぬ先の杖

ネットのニュースで海外旅行でなくしたデジカメが拾った人の尽力によって手元に戻ってきたという話を見ることがある。今やFacebookには拾ったカメラの所有者をさがすためのコミュニティすら存在している。
普段外に持ち出すものほどなくす可能性も高いわけで自分の場合で考えるとやはりデジカメとスマートフォンの2つが大きさ、持ち出す頻度、中のデータの重要度から、もしものときのための措置をとっておく必要がありそうだ。
コンピュータ、スマートフォン、デジカメ内のデータは大きく3つに分けることが出来る。1つはなくしても簡単に(手間の大小ではなくてオリジナルの有無からの視点で)復旧できるもので、インストールディスクを持っているアプリケーションや素材集などがこれにあたる。
2つ目はオリジナルは手元にないが頑張ったら同じ(ような)ものが再度作れるデータ。または作品の作業ファイル。中には二度と作る気が起きないほど手間をかけたものもあるが、手間と重要度が共に大きいものは別にバックアップとをっておけば良いし、どうやって作ったかを忘れるほど昔に作ったファイルで、最近は全く触っていないなら、きっと今後も使う機会は滅多にないだろうと考えて紛失した際にはきれいさっぱり諦める。
3つ目はこれが一番なくすと困るのだけどデジカメ撮影したデータなど一期一会のもの。出先から家に戻ればデータのバックアップは取れるが問題は持ち出している間に紛失した場合のまだバックアップを取っていない写真達。
と考えるとスマートフォンのアドレス帳や写真データなどは、私はAndoroid機を使っているのでアドレス帳やメールデータは全てGoogleアカウントに結びついてサーバーに保存されている。実際、新しいスマートフォンを使い始めてもGoogleアカウントを設定するだけど見る見る間にメールやアドレス帳のデータが空から降ってきて自分仕様になっていくのでこの点はあまり心配がない。電話を紛失したときにはSIMを止めて、再発行手続きをして新たなSIMを別の端末に入れGoogleアカウントを設定すれば自分の環境は再現できるはず。スマートフォンのカメラで撮影した写真は撮影後にDropBoxに自動アップロードするように設定しているので意識せずとも写真のバックアップはとってあることになる。
問題はなくした方の電話。ここには中に色々な情報が入っている。が、今のAndroid端末はコンピュータからGoogle Playに自分のアカウントでサインインすると自分の端末の操作が出来るようになっている。自分の端末の大体の位置も探せるし、着信音を最大音量で鳴らすことも出来る。またパスワードロックをかけたり最後の手段として初期化も出来る。ということは本体をなくすという精神的ダメージは大きいけれど実質的なダメージはかなり小さく抑えることが出来る(写真の地図はもっと拡大して場所を特定できます)。



さて、デジカメを落とした場合。メーカーのユーザー登録はしてあるので拾った人がシリアルナンバーから辿ってくれるような人だったら手元に戻ってくることもあるだろうが、そこに気付く人ばかりではないだろう。でも中のデータくらいは覗いてくれる人も多いと思うので、今年に入ってSDカードにこんな写真を入れておくことにした。



さて、なくした際にはどんな人からどんな連絡が来るだろうか。
なくすのが楽しみ♪

5/12/2014

Kindleのデメリット

使い始めたら想像以上に便利だったKindle Paperwhiteで最近は小説も、定期購読しているメルマガもこれで読むようになりました。読み進めている途中で「あのシーンどこだっけ?」とざっくり数十ページを戻るという動作こそしづらいものの、読了の後、数分後には次に読みたい本を買って読める状態になること、本体をどこかに置き忘れても別端末のKindle Appで続きを読めること、読んでいる途中であるキャラクターの登場シーンとか気になったときに検索機能を活用できることなど便利な点も多く、紙の本を買わなくなってしまいました。



が、最近唯一大きなデメリットと思われる点に気付いたのですが、ただでさえ物覚えが悪いのに、いやこれは年齢的なものでなくて、十年以上前から人の名前を覚えない、道順聞いても説明の後にさぁ歩き出そうと思ったら初手を忘れているなど、事例は枚挙にいとまがないわけで、紙の本のときにもうっかり同じ本を買ってしまったことも数回。
しかしこれがKindleとなるとさらに自分が読んでいる本の著者とかタイトルを意識する機会が減ることに気付きました。と言うのは、紙の本なら続きから読もうと思って手に取るときに本の表紙を目にしますしカバーをしていても扉などで本のタイトルは意識していなくても目に入る機会が少なくないです。書棚に戻せば背表紙が目に入る。ところがKindleだと電源入れたらさっきまでのページから始まるのでタイトルを目にする機会が極端に少ない。まぁ、それでもKindle Storeで以前に購入した本のページを開くと「あなたは○月○日にこの本を購入しました」のように表示されるので同じ本をうっかり買ってしまうと言う事態は避けることが出来ますが人と話をしていて「今読んでる本は・・・」となるとほとんど決まって「あれっ?」となります。
Kindleのせいというよりは自分の記憶容量のせいなんですけどね。あとで秋葉原行って来ようっと。

4/27/2014

お疲れ様ですという挨拶への違和感

「お疲れ様です」が仕事が終わり自分が去るとき、相手が去るときの挨拶となることは納得できる。今まで何かの作業や仕事をした後での話だからだ。しかし、ここ数年は会って最初の挨拶も「お疲れ様です」だし電話に出て相手が名乗った際にも「お疲れ様です」。仕事上などで主に自分側の人には「お疲れ様です」で、クライアントなど相手側には「お世話になっております」と使い分けるのが最近での二大挨拶。しかし、朝最初に会ってこれから一日頑張ろうと言うときに「お疲れ様です」というのは「自分ってそんなに疲れて見えるか?」とか「やる気を削がれる」という感想も目にする。2000年前後にはまだ違和感を表明する声も今よりもあったように思う。
イベントや舞台、テレビ業界などで最初の挨拶が時間にかかわらず「お早うございます」なのは、仕事のスタートとして今から頑張りましょうの意味が込められているからだと説明されている。が、同じプロジェクトでこれから働こうという状況にない人、例えば、オフィスの建物内ですれ違ってもこういう業界で働く方々の挨拶は「お早うございます」であることも多く、これは、一般的な朝がスタート夕方に就業というパターンと違って人に会ってもその人がこれから働くのか、一仕事終えて帰るところなのかわかりにくい業界なので挨拶が一種類だと便利という面もあるのだろうと思う。
お疲れ様ですにもそのように利便性があるのかもしれないし、朝に会ってももしかしたらその人は徹夜作業をしたかもしれない、前日遅くまで働いていたかもしれない、などという労をねぎらっての意味もある・・・かなぁ。いや、もはやそこまで考えている人は少ないはず。
「やばい」とか「普通に」とか状況によってプラスなのかマイナスなのかどちらの意味にも使うことが出来る言葉が普及し、それは言葉を使う側の表現力、ボキャブラリーが乏しくなっていく第一歩に感じる。まぁ、私はそもそもスマホとかガラケー、パソコンという言葉も何だか気恥ずかしくて使えないので、やばいとか普通にという言葉も当然使えず、それらの言葉を使わずに自分の言葉を紡いでいるわけだが、お疲れ様ですは、いつの間にやら使っていた。かつては自分も違和感を感じていたにもかかわらず、である。
そこで数日前からふさわしいとき以外はお疲れ様ですを使わないようにしようと自分ルールを作ったのだが、では何に替えるべきなのかがお疲れ様ですに慣れすぎていてしっくりくる代替案が未だに浮かばない。朝の挨拶はおはようございますで問題ないのだが、問題は昼や夕方。こんにちはやこんばんはが一般的な挨拶だけどここで今更ながら気付いたのが丁寧語や敬語で接すべき相手に朝の挨拶しか「ございます」が付けられない。「こんにちわでございます」や「こんばんはでございます」では何だか相手を馬鹿にしている感が濃厚に漂ってしまう。さて、どうしたものか。

4/07/2014

マジック・ライブ終了しました

3月30日に麻布十番のAZB10にて行われたマジックライブ"INCREDIBLE"にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
また、早々にチケットが売りきれとなってしまったためチケットが入手できずにお越しいただけなかった皆様、申し訳ありませんでした。

今回のライブは第二回目開催を見据えて、計画などの事前準備から含めてのテストの意味合いもありました。確か全員、いや三人、が顔を実際に合わせたのは最初に各自の意向を確認するためと今後の方針を決めるための一回のみ。あとはネット上のやりとりでファイルなどもクラウドの共有フォルダで・・・と言ってもそんなに壮大な準備作業があったわけでもなく、Psykaさんにほとんど任せっきりになってしまいました。あ、一度、PVの素材撮影のためにもう一度全員、いや三人、で顔を合わせたことがありました。
みなキャラクタの違うマジシャンですし、普段は各自の活動がありますからなかなか集まって一緒に演技をする機会というのもありませんでしたが、気の合う人々と一緒のイベントは準備から本番、打ち上げまで楽しく過ごす事が出来ました。私自身に関して言うと演技の構成の外枠は以前表参道のマジックバー・Nに出演させていただいていたときに演じていた者ですが、あの頃から薄々感じていた問題点がありまして、どちらの演技も見たことある方にはわかるかもしれませんが、いや、そんな方はきっといませんね、Nのときにはマジックのテーマのカードを選ぶのがマジックの演目が終わるごとに「では次は・・・」という形だったためにショーとしての流れを寸断してしまうという弱点がありました。これは技術上、手法上の問題もあったために単純に段取りの位置を移動させるというだけでは解決できない問題でした。この点の改善策として使ってみたのが今回のライブでのやり方です。これはこれで少々改善したい点もあるのですが以前よりは良くなっているはず。
また、演出上、全力でコンピュータからの画を使う事にしてしまったためにセッティングやオペレート時のストレスが少々大きい者となりましたが、これはまぁ、自分的な「なるほどなぁ」があって得るものがありました。個々のマジックに関しては以前から演じているものであってもハンドリングの変更したものがあり自分的にはやり心地が上がっているのですがこのあたりは気付く方はいないと思います。
そんなこんなで、繰り返しとなりますがご来場いただいた皆様、ありがとうございました。二回目の詳細が見えてきましたらまた各所で告知したいと思いますのでよろしくお願いいたします。