6/25/2018

英語の前に日本語を

英語が後天的に出来るようになった人というのは大抵の場合、言語能力が高いように思います。大抵の場合と書いたのは、当然そこには例外的な人もいるからなのですが、まあそれは置いておいたとして、ここで言う言語能力というのは外国語の単語や文法をさっと覚えられるとか、覚えたことをすぐに運用できるという意味ではなくて、それ以前の母国語、日本人であれば日本語を用いて自分の考えを説明するのが上手い。
筋道立てて、過度な寄り道をしないで、伝えるべきことは伝えて話を言い切る力のことです。一方で色々なことを時間をかけて本人なりにあの手この手で話しているのだけど、結局何が言いたいのかな〜ってパターンありますよね。英語でも色々回り道したり、Aという方向に話が行くのかと思ったら軌道修正がなされてBに行き着く、みたいな話し方はやろうとすれば出来る部分もありますが、こっちの方が難しさ、文としての複雑さは往々にして高いです。
中学校までの文法事項がわかっていれば大抵のことは言えると私もよく言ってますが、中学校での英文って「AはBです。」「XはYをZしました。」のようにシンプルですよね。ということは、話しているうちにややもすると自分自身ですら「あれ?何の話しててどこに着地させたかったんだっけ?」みたいな曖昧さというか冗長性を持たない表現の方が中学校で習う英語にはまりやすいわけです。
あまりにシンプルで理路整然とした話し方では味気ない、人間味がないと思った方、人間味がある話し方とは一体どういうことかを、もう一度考えて言語化してみましょう。はい、その説明が長くなってしまった割に何を言いたいのか結局良くわからなかったり、もう一度考えてみたらもっと簡単な表現で済ませられた、なんてことになってませんか?それはもう人間味あるなし以前の問題というか、まずは話は人に伝わってこそです。周りを見渡せばシンプルな文でも自分の考えを述べ、発想のオリジナリティ、感性の鋭さ、個性的な表現方法でその人らしさを発信している人達がいます。そしてそれは全く味気ないとか人間味がないなんてことはないです。

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